3月10日〜14日、宗教哲学者で京都大学こころの未来研究センター教授の鎌田東二さんと共に東北被災地第4回追跡調査を行った。宮城県仙台市から青森県八戸市まで5日間をレンタカーで約1,000km走る。
今回は、東日本大震災発生からまる2年という節目に合わせた。3月11日前後には各地で様々な追悼イベント、3回忌法要などが行われていた。仮設住宅のさらなる延長、宅地の高台移転、住民の流失など多くの難問がまだまだ残っていることを実感。今回、天候には比較的に恵まれたが、半端でない強風に中での移動だった。地元での復興の兆しも感じられるが、まだまだその道のりは険しい。
荒浜海岸近くの荒浜供養塔は、少し離れた場所に移動し供養塔の近くに観音像が建立されていた。強風に中、たくさんの方々がお参りに来ていた。
七ヶ浜町七ヶ浜地区の鼻節神社(延喜式内社)を巡り、塩釜市の塩竈神社・志波彦神社(延喜式内社)を参拝し、野口筆頭禰宜のお話を伺う。お神楽の奉納を見ることができた。
大島神社をお参りし、社務所を訪ねるも宮司は留守だった。その後、亀山に上ると絶景が待っていた。
3月10日(日)
10時40分、仙台駅東口で鎌田東二さんと待ち合わせ。レンタカーで追跡調査へ出発。
仙台市若林区の浪分神社を参拝してから、荒浜海岸へ。
仙台市若林区の浪分神社を参拝してから、荒浜海岸へ。
荒浜慈聖観音 |
七ヶ浜町七ヶ浜地区の鼻節神社(延喜式内社)を巡り、塩釜市の塩竈神社・志波彦神社(延喜式内社)を参拝し、野口筆頭禰宜のお話を伺う。お神楽の奉納を見ることができた。
夕方、気仙沼の地福寺へ到着。お寺には地元の方をはじめ、やくさんのボランティアの方々が、炊き出しや灯明の準備をしていた。2013年3月10日、東日本大震災メモリアル、未来(明日)に向って、実行委員会主催による祈りのイベントが地福寺本堂を会場に開催されていた。12時45分から各方面のアーティストが歌い、奏で、舞、あかりを灯し、亡き方々の鎮魂に真心をたむける催しが始っていた。
地福寺 |
地福寺で受付を済ませ、本堂へ入ると「飛んでイスタンブール」で知られる歌手の庄野真代さんが歌っていた。
庄野真代さん |
しばらく歌って、休憩の後、安田知彦ビックバンドの演奏が始る。実に味わいのあるライブだった。祈りの舞(能、韓国舞踊)の奉納を終え、片山秀光和尚を導師としての第三回忌大法要が執り行われた。
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法要が終わり、石巻市雄勝町大須にある民宿へ移動。夕食後、雄勝葉山神社・石神社の千葉宮司が宿を訪ね、神社再建や小中学校の移転などの問題点などのお話を伺う。葉山神社は、雄勝法印神楽の拠点である。葉山神社は震災と津波により破壊され、高台移転を計画していた。
11日(月)
女川町の地域医療センターがある高台で、あるセレモニーが行われていた。
昨年、女川第一小学校の6年生全員がNOP法人芭蕉俳句文学館が主催する『復興俳句絵コンクール』に応募したところ、みごと金賞を受賞した澤田なつみさんの作品が『俳句絵碑』となったという。
その後、女川原発周辺を巡った。東北のリアス式海岸は、実に景観が美しい。そんな場所に原発があることは実に嘆かわしい。日本のすべての原発は廃炉にすべきである。
2年目の3月11日、偶然(?)にもアメリカ政府の原子力規制委員会(NRC)がメリーランド州カルバートクリフス原子力発電所3号機の建設許可を出さないことを決定したという。
正午すぎ、石巻市雄勝町支所前にある仮設の食事処「洸洋」で千葉宮司さん、雄勝法印神楽保存会会長の伊藤博夫さんと再会し、近藤高弘さん、曹洞宗香積寺住職でNPOしらうめ理事長の川村さんと合流する。この「洸洋」のオーナーは、雄勝法印神楽の楽士でもある。
2年前の地震発生時に合わせ、14時46分に荒浜海水浴場で、鎌田東二さんと共に川面凡児(明治・大正時代の神道家)流の行法で禊をする。海水の冷たさは半端でない。大きな浪に何度かもまれながらも、東日本大震災で亡くなった方々への鎮魂の祈りを込めて禊をさせていただく。
禊を終え、石神社を遥拝し、葉山神社仮社務所でお話をする。
北上川添いの大川小学校へ行く。供養費が建立させ、大きなセレモニーが催された後だった。
その後、釣石神社の岸波宮司とお会いし釣石神社を案内していただく。神社を参拝し宮司からお話を伺う。
帰りがけ、日は沈んでいたが岩井崎の龍松と再会し、気仙沼のホテルへ。
昨年、女川第一小学校の6年生全員がNOP法人芭蕉俳句文学館が主催する『復興俳句絵コンクール』に応募したところ、みごと金賞を受賞した澤田なつみさんの作品が『俳句絵碑』となったという。
俳句絵碑の贈呈式 |
俳句絵碑 |
2年目の3月11日、偶然(?)にもアメリカ政府の原子力規制委員会(NRC)がメリーランド州カルバートクリフス原子力発電所3号機の建設許可を出さないことを決定したという。
東北電力女川原発 |
女川原子力prセンター |
2年前の地震発生時に合わせ、14時46分に荒浜海水浴場で、鎌田東二さんと共に川面凡児(明治・大正時代の神道家)流の行法で禊をする。海水の冷たさは半端でない。大きな浪に何度かもまれながらも、東日本大震災で亡くなった方々への鎮魂の祈りを込めて禊をさせていただく。
禊の前にホラ貝を奉納する鎌田氏 |
石(いその)神社を遥拝 |
大川小学校でホラ貝を奉納する鎌田氏 |
大川地区物故者名が刻まれた石碑 |
釣石神社を案内する岸波宮司さんと鎌田氏 |
岩井崎の龍松 |
12日(火)
早朝、気仙沼港からフェリーで大島に渡り、竜舞岬の乙女窟、大島神社(延喜式内社)、大島最高峰の亀山へ。昨年5月に来たときは、雨風が激しかった。今回は天候に恵まれたが、荒々しい竜舞岬の方が、神の存在を感じさせる。
ホテルから見える気仙沼の朝焼け |
大島の龍舞崎 |
ホトを表す乙女窟 |
穏やかな乙女窟のシルエット |
大島神社本殿 |
大島神社の中に鎮座する磐座 |
亀山からの展望 |
亀山から見る龍舞岬 |
気仙沼港に戻り、近くの復興支援屋台村「あたみ」でラーメンを美味しくいただく。
その後、紫神社、金光教教会をお参りする。港近くに打ち上げられた第十八共徳丸には、観光に来ていると思しき人たちが、船と祈念写真を撮っていた。
今回、陸奥国の最北端にある延喜式内社、陸前高田市高田町西和にある氷上神社を初めてお参りする。
陸前高田市和田の慈恩寺(臨済宗妙心寺派)古山住職のお話をうかがう。その後、大船渡の尾崎神社(延喜式内社)を参拝する。
宮古市のホテルへ。夜、鎌田さんの国学院大学での教え子で釜石在住の末長くんと再会する。末長くんとは、H10.10.10、鎌倉大仏で開催した「東京おひらき祭」以来である。その祭で、彼は彼のお姉さんと共に釜石の虎舞を踊ってくれた。
気仙沼復興支援「屋台村」入口 |
復興屋台村 |
ラーメン屋「あたみ」 |
味噌唐とんこつラーメン |
渡辺謙氏のサインとおかみさんとの写真 |
第十八共徳丸 |
氷上神社本殿 |
本殿裏にサークル状に石が点在 |
石の下に納められた丸石 |
願掛けの石 |
鳥に前に復元された千石船「気仙丸」が浮かぶ |
尾崎神社 |
オシラサマのよう |
13日(木)
釜石市の尾崎神社を参拝し佐々木宮司にお話をお聞きする。
山神社を参拝。近くの仮設住宅近くにあった体育館の解体工事が行われていた。
大槌町の第9仮設住宅訪問する。軽トラックの移動図書館が来ていた。
安渡地区の大槌稲荷神社を参拝。
大槌稲荷神社の十王舘宮司にお会いしお話を伺うと稲荷神社は、震災後5ヶ月の間約150人もの方々の避難所になっていたという。その後、大槌を支援しているサンガ岩手の復興支援センターと手作り工房のお店を訪ねる。
岩手県下閉伊郡山田町船越の荒神社を参拝する。
田老地区、野田村の愛宕神社周辺を見て八戸市の海が見えるホテルに泊。
14日(金)
早朝、bayfm「パワーベイモーニング」という番組の6:45から7分間あまり電話出演させて頂く。
最後に蕪嶋神社を参拝する。
朝の浄土か浜 |
尾崎神社 |
解体される石巻市体育館 |
仮設住宅で洋裁をする方々 |
軽トラの移動図書館 |
両サイドに本を収納 |
高台に鎮座する大槌稲荷神社 |
大槌稲荷神社 |
大槌稲荷神社の参集殿 |
サンガ岩手の手作り工房おおつちと復興支援センター |
荒神社参道から見える弁天島 |
復旧された荒神社のN鳥居 |
荒神社本殿 |
小室堂の石扉 |
閉伊頼基の御霊廟「小室堂」 |
14日(金)
早朝、bayfm「パワーベイモーニング」という番組の6:45から7分間あまり電話出演させて頂く。
最後に蕪嶋神社を参拝する。