2009/07/04

エジプト、ピラミッドの誘惑

エチオピアからエジプトのカイロに入ると、暑い日差しが待ち受けていた。
エジプトといえば、ピラミッドを連想する。特にギザの三大ピラミッドとスフィンクスは、エジプトの象徴ともいえよう。10年ほど前、私が初めてエジプトに来た時、真っ先に向かったのがギザのピラミッドだっには、何故か理由もなく魅かれる不思議な力があるのだ。

今回の世界石巡礼では、これまで行けなかったいくつかの古いピラミッドを訪ねることにした。

5月30日
カイロから車で1時間ほど走るとダフシュールのピラミッドに到着する。ここは、B.C.2600年 スネフェル王が造った二つのピラミッドで知られている。一つは赤いピラミッド、もう一つは屈折ピラミッドだ。

最初に赤のピラミッドに行く。
このピラミッドは、鉄分の多い赤みを帯びた石灰岩を使っていることから赤のピラミッドと呼ばれている。ピラミッドの石段を上がり始めると、猛暑のせいかくらくらしてきた。ようやく中腹の入口まで上り水を飲み一息ついた。中に入ると入口は身体を屈めてやっと通れるくらいの大きさで、真直ぐな通路を一気に降りていった。横の通路を少し行くと、大きな石室が現れた。天井は三角状に積まれた石組みになっていて高さは10m以上あった。


きれいに組まれた石組みの隙間はほとんどなかった。
その後、奥の石室を見たが、やはり同じような構造になっていた。最後の部屋だけ、近年作られた木造の階段に登り、そこから見ることができた。その部屋は、石組みが崩れ、まるで盗掘のため壊された後のように思えた。

ピラミッドの中は臭いがしたものの、割と快適だった。石室から通路を上がって地上に出ると、不思議な感覚になった。

その後、そこから見える屈折ピラミッドに向かう。このピラミッドも赤のピラミッドと同じ頃に造られたものだが、 このピラミッドは、基底部から49mの高さまで勾配が約54度27分で、そこから上の部分は、43度22分になっていることから、屈折ピラミッドと呼ばれている。
なぜ屈折しているかというと、石を積み上げて行く過程で、角度が急勾配過ぎて石の重量を支えきれなかったためだと推測されている。近付くと、数人の作業員がピラミッドを修復していた。観光ポリスが言うには、今はクローズだが一ヶ月後にオープンするという。

最後の訪れたのが、サッカーラの階段ピラミッドだ。ここは、ギザの南約10kmにありエジプトのピラミッド建設の最初の場所として知られている。B.C.2650年にジョゼル王によって造られたものだ。このピラミッドコンプレックス(複合建築)は、東西277km、南北545mの周壁に囲われ、階段ピラミッドを中心に祭殿の建物が残っている。


周壁の入口には2列、20本の柱が並ぶ柱廊を抜けると、北側に階段ピラミッドのある中庭に出る。今も発掘調査や修復作業が行われていて、多くの作業員が働いていた。そこから北東に崩れかけたウセルカフ王のピラミッドが痛々しく見えた。

人類最古のエジプト文明は、この巨大な石造建造物を造った。
ピラミッドにはいくつかの説がある。王墓説が一般的だが、これまでピラミッドから王の遺体がでていない。また、ピラミッドテキストによると「天への階段が彼(王)のために造られる。それによって天に昇るために」という呪文が刻まれている。王はその死後、天へ昇り、星となり、太陽神とともに天空を巡ると考えられていた。
今回、赤のピラミッドしか中には入らなかったが、やはり石室の中に入ると日常的な感覚から非日常的な意識の変容が起きるような感覚に陥った。そうそれは、まるで胎内回帰をしているような感覚に近い。
もしかしたら、ピラミッドは人間の意識を変容させるための装置、「死と再生」を体感させるための装置だったのではないだろいうか。現実離れした印象を持ってしまったのは、猛暑のせいかもしれない・・・。

       エジプト、カイロにて  郡司 拝