2009/07/11

古代ギリシャの岩の聖域、デルフィとアクロポリス

7月9日 デルフィ(デルポイ)
ラミアの街からアンフィサを経由したバスは、急な坂道を登り始めた。背後に岩山が聳え立ち、やがて坂の上の町デルフィに到着。そこから徒歩15分あまりでデルフィ遺跡のアポロンの神域の入口に到る。
暑い日ざしを浴びながら、聖なる道と呼ばれる坂道を上がって行くと辺りは古代遺跡が広がっていた。

標高2457mのパルナッソス山の麓にあるこのデルフィ遺跡は、古代ギリシャの都市国家(ポリス)で、古代ギリシャにおいて世界のへそ(中心)として信じられギリシャ最古の神託所でもあった。

伝説によるとデルフィは紀元前2000年頃よりガイア(大地の女神)を祀る聖域として発展したという。ガイアはデルフィの洞窟で大蛇ピュトンに守られ信託を行っていたが、アポロンが大蛇ピュトンを殺してここに自分の神殿を建てた。
紀元前6世紀頃になるとアポロンの神託の名声が高まりギリシャ中から人々が神託を求めて訪れるようになり、一大繁栄期を迎えた。しかし、アポロンの神域も、360年頃「もはや泉は尽きた」という最後の神託を受けて、1800年代に遺跡の発掘が行われるまで長い眠りについた。
聖なる道の坂の入口に台座に乗った卵形の石があった。
   へその石
これは、「へその石」と呼ばれ、本物は博物館の中に展示してある。
   へその石
また、復元されたアテナイ人の倉庫の隣に「巫女の岩」と呼ばれる自然石があった。
  巫女の岩
草の蔓に覆われた岩は、独特な存在感があった。この岩の上で巫女が神がかりになったのだろうか。
    アポロンの神域
デルフィの巫女(シビュッラ)が神がかりとなり謎めいた詩の形で告げられた神託が、神意として古代ギリシャの人々に尊重されポリスの政策決定に影響を与えたという。
アポロンの神殿跡から、劇場跡を過ぎさらに上がった処に競技場跡があった。
  アポロン神殿跡
      競技場跡
       美しい地層
古代遺跡デルフィは、パルナッソス山がとても重要な役割があるように思えた。
帰りがけ、デルフィ遺跡の外れに割れた岩を見つけた。その岩は、まるでデルフィの入り口を守るかのように佇んでいた。


7月10日 アクロポリス

デルフィからバスでアテネに移動し、お昼過ぎにホテルにチェックインする。
昼食を済ませてからさっそくアクロポリスに出かける。
地下鉄アクロポリス駅から3分ほどでアクロポリスの入口に到着。そこから巨大な丘を見上げながら歩く。ギリシャ最古のディオニソス劇場(BC6世紀)を見て、大理石の石段を上がるとアクロポリスの丘に到る。
    パルテノン神殿
そこには、修復中のパルテノン神殿、エレクティオン神殿が建っていた。
アクロポリスは、古代ギリシャの都市国家(ポリス)のシンボルとなった小高い丘のことで「高いところ、城市」を意味し、アテナイのアクロポリスに建つパルテノン神殿は、守護神アテナに捧げるために紀元前432年に造られたものだ。今の神殿はペルシャ戦争後に建設されたもので南北約30m、東西約70m、石柱の高さ約10mあり、ローマ時代にはビザンチン教会として、中世のオスマン・トルコ支配下にはモスク寺院として使われていたという。
アクロポリスの丘には、世界中から多くの観光客が訪れていた。
  丘からアテネの街を望む
最後にフィロパポスの丘に上ると、アテナイのアクロポリスの全体像が見えた。岩上に立つパルテノン神殿に夕日があっていた。2000年の歴史を刻んだパルテノン神殿の大理石は、今でも荘厳な輝きを漂わせていた。
   フィロパポスの丘から

デルフィは岩山に守られた聖域、アクロポリスは岩上の聖域といった印象を強く持った。


           ギリシャ、アテネにて 郡司 拝

追伸:今後の予定
今夜、ギリシャ・パトラ港からバーリ港行きのフェリーに乗り、イタリアに向かいます。