2011/10/01

茶源郷、和束町の百丈岩

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京都府相楽郡和束町を訪ねる。

寺子屋力石での写真展に来てくれた方のご縁で、京都府相楽郡和束町に百丈岩という巨石があることを知り、その後、和束町の方に百丈岩を案内していただけることになった。

和束町は、宇治茶の郷で知られ、桃源郷ならぬ茶源郷と名乗っていた。

その日、午後一に和束茶カフェという処で、竹谷さんという方と約束をしていた。和束茶カフェとは、和束の情報発信のステーションで、創作特産品のお茶などの試飲と販売をしていた。お昼ということもあって、実年のサイクリング集団が、お茶を飲み、土産物を注文していた。私も煎茶を、試飲させていただく。何ともコクのある香りと、口に中にアミノ酸が広がっていった。

しばらくして、竹谷さんはやってきた。彼は和束町のお茶農家の出身で、若い時は京都府外で働いていたという。26才で和束町に戻り、今は和束雇用促進協議会でイベント企画担当の仕事をされている好青年である。

最初に、弥勒磨崖仏を案内してくれた。

和束川を覗き込むように、川の対岸の巨岩(御影石)に彫られた立像は、正安2年(1300年)4月の銘が彫られているという。かつて、磨崖仏の近くまで行くことができたが、川にかけられた橋が流され近づくことができない。さらに、立像の横に雀蜂の巣があって危険な状況だった。

その後、和束町の北東、湯船地区にある百丈岩へ向かう。

浄水所の隣に車を止め、そこから歩いて山へ向かった。沢沿いの道をしばらく進むと、小さな木の鳥居が現れる。

山道は、かなり細い。竹谷さんは、この時期はマムシが心配だといって山へと歩く。途中、沢にかけられた小さな橋を渡ると、巨岩が姿を表した。これが百丈岩の下の部分だという。



高さ20mはあるだろうか、上の方は三角状になっていてピラミッドの頂上部分のようにも見える。そして、上の方に雀蜂の巣があった。

 砂防ダムを左手にさらに上がってゆくと、小さな鳥居と滝場が見えてきた。近づくと、岩の前に小さな石像がある。不動明王のように見える。

水量は少ないが、バケツがあり今でも滝行をしているようだ。さらに山へ進むと、ようやく百丈岩の前に到着する。下から歩いて40分位かかった。百丈岩は、高さ32m、横幅36mもの御影石(花崗岩)の巨岩である。

岩上は、畳8畳程の大きさがあり、別名「八帖岩」とも呼ばれている。百丈岩の岩上には、小さな石塔があり、四つの面にそれぞれ梵字が彫られていた。岩の周囲を歩くと、切立った崖になっていて、下を覗くと足がすくんでしまった。

南北朝に時代、百丈山大智寺を開基した僧呂「大観禅師」が、100日間座禅修行した場所と言われている。その岩のすぐ下には、大観禅師が修業中「文珠菩薩」が現れたという「文珠石」もある。

巨岩には、丸く彫られた中に、文殊菩薩らしきものが彫られていた。 

このような聖なる巨石が、和束町にあることはとても貴重なことだと思った。京都の自然200選というものがあり、百丈岩もその一つに選ばれていた。ただ、百丈岩の近くに鉄でできた看板が立てられていた。自然に帰らないものを、こんな山の中に立てることはいかがなものかと思った。

百丈岩への登山は、天気にも恵まれ、山道も何とか快適に歩くことができた。しかし、途中、かなり細く危険な道もあった。そして、最後の最後、我々に前に大きな蛇が姿を現した。一瞬、マムシかと思いびっくりしたが、マムシでは無く山の神の化身のようだった。

帰りがけ、湯船の白山神社をお参りしし、八坂神社の大杉を案内してもらう。大杉は、樹齢1300年と言われるくらい古いものだった。

 茶源郷のハイライトは、白栖・石寺の茶畑を見せていただく。まるで、バリ島のライステラスでも見ているような錯覚に陥った。何とも魅力的な景観であった。

 和束町には聖なる巨石、滝場、巨木があり、歴史的な物語などのロマンに満ちている。いつか、和束町で「石の語りべ」をしたい。そう願いながら茶源郷を後にした。