2010/01/06

聖地は動かない、テンプロ・マヨールとグアダベール寺院

1月2日

メキシコ・シティのテンプロ・マヨール(Tenplo Mayor)とグアダベール寺院(Basilica de Guadalupe)へ行く。

 メキシコ・シティのソカロ(中央広場)に行くと音楽に踊り様々な露天商が並び、フリーダカーロの絵を描く青年がいて賑やかな雰囲気があった。

特に印象的なのはメキシコ先住民と思われる人達のダンスパフォーマンスだ。太鼓の音のリズムに合わせ、頭に鳥の羽、褌姿は実にかっこいい。

ソカロは、カテドラルや国家宮殿などがありメキシコの重要な施設が集まっている。また、そこにテンプロ・マヨールと呼ばれるアステカ時代の神殿跡があった。入場料(51ペソ)を払い、フェンスの中に入ると、街のど真ん中にアステカ時代の遺跡が広がっていた。



 テンプロ・マヨールは、アステカ時代の神殿跡。1913年、カテドラルの裏手の工事中にアステカ遺跡の一部と見なされる地下階段が発見されたが、そのまま放置された。1979年の水道工事中に重さ8トンもの円い石板が出土した。それがアステカ神話の中で重要な役割を持つ月の神コヨルシャウキの像で1450年から1500年頃のものと推定された。その後、発掘が始まりアステカ帝国時代の都テノチティトランの中央神殿であることが分かったという。
このような遺跡が街のど真ん中にあることは、つまりスペインの征服者達は、この場所の聖地性を知っていてそこにコロニアルの拠点に変えたのだろう。まさに、植島啓司氏のいう「聖地は動かない」がこのメキシコにあった。
遺跡に隣にはテンプロ・マヨール博物館があり、発掘されたものが展示されていた。博物館の展示の仕方は、実によかった。神殿の模型、石像、装飾品、楽器、ドクロ、黒曜石、石の仮面など様々な遺物が展示されていた。
特に印象的なのは月の神コヨルシャウキの像をかたどった石板だ。石板は真横から上から俯瞰して見ることができ、当時の色合いを光線の色実を使って再現しているのが分かりやすかった。

3時間近く集中して見たせいか、それともアステカの仮面やドクロの遺物に見つめられたせいか妙な疲れがあった。
テンプロ・マヨール遺跡を出ると、メキシコ先住民と思われる人が加持祈祷のようなことをしていた。我々は、さっそく祈祷をお願いした。

祈祷師は、香を身体全身にまぶし、バジルを身体に当ててから両手で揉み、ほら貝を首筋あたりに向けて吹く。最後に香水のようなものを手に付け、指を下に引っ張り終わる。めったに、祈祷など受けた事がなかったが二人ともすっきりした。
 その後、昼食を食べ地下鉄を乗り継いでグアダベール寺院へ行く。ここは、ローマ法王も訪れミサを行ったこともあるメキシコ最大の聖地とされている。駅から地上に出ると宗教関連グッズを売る露天が並び、寺院までの数百mあまり続いていた。グアダベール寺院の中は、いくつかの施設が建ち大勢の信者の姿があった。正面にあるのが教会堂で、地盤沈下のため建物はかなり傾いていたが、建物の補修をしていて中に入ることができた。

一際目立つのが、左手に見える巨大な新教会堂で中ではミサが行われていた。


2万人が収容できるという新教会堂のほとんどの椅子は、人々で埋め尽くされていた。家族連れが多く、人々はどこか喜びに満ちあふれている。グアダベール寺院は、聖母が現れたという奇跡の地であり、これは新大陸で最初のことだという。寺院裏手のテペヤックの丘で、光輝く褐色の肌をした聖母が現れたという。奇跡の場所には、聖母と人々の姿を銅像で象っていた。

興味深いのは、その背後が岩であったことだ。
最後に、グアダベール寺院の聖母像を見に行く。聖母像は、新教会堂の横の入口から下に入ると10mくらいの自動歩道でわずかに見ることができた。ちょうど、新教会堂の司祭壇の真後ろに飾られていた。

 グアダベール寺院が、メキシコ最大の信仰を集めているのは、そこは元々先住民にとっての聖なる場所であったからだ。メキシコ先住民達は、このグアダベールをトナンツィンの名で親しんでいたという。トナンツィンは、アステカの宗教に現れる女神の名で、ナワトル語で「神々の母」を意味する。このテペヤックの丘は、かつてトナンツィンの神殿あった場所とされているのだ。やはり「聖地は動かない」

                メキシコ、メリダにて
                           須田郡司 拝