2010/08/15

神在神社の神石ナビ

 810日、お昼前頃、ダンキーさんから電話がかかってきた。

ダンキーさんはものまね芸人で、先月、下総中山の遠壽院で行なわれたお堂ライブに打ち上げで初めてお会いした。宴会で、なぜか我々夫婦が日本石巡礼中にどのように出会ったかなどを話しているうち、そのきっかけになった福岡の神在神社の神石の話しをする。ダンキーさんは、その話に興味を持ち、来月、福岡に帰省する際、ぜひ神石を訪ねたいと言った。私は神在神社からの神石までの簡単な地図を書いて渡し、場所がわからなかったら電話で教えて下さい、と頼まれていたのだ。


神石と出会ったのは日本石巡礼を終える半年ほど前の2006年春だった。

福岡県前原市の神在神社の奥の水田後の中にぽつんと安置されたように神石は鎮座していた。

ひよこのような形に見える巨石は、かつて水田だったと思しき篠林の中にあった。神石を見た後、神在神社に戻ると私は財布を無くしたことに気づいた。どこかに落としたと思い、神在神社から神石の間を3往復して探したが見つからなかった。財布には運転免許書、カード類、いくばくかの紙幣が入っていた。その後、免許書を再交付するため群馬に戻らなくてはならず、免許書不携帯のまま岡山の友人宅まで走った。妻とは、その夜、友人宅で初めて出会ったのである。

ある意味、神石は私にとっては縁結びの巨石でもあった。


ダンキーさんの声はやや興奮ぎみだった。一時間以上、荒地の中を歩いて探しているが神石らしき石が見つからないという。それから、しばらくしてまた電話があった。ある石を見つけたので確認して欲しいという。石の写真二枚が写メールで届いた。しかし、それは神石ではなかった。私は、記憶を呼戻しながら丁寧に説明をする。ただ、道無き道を歩いたため口頭でどこまで伝えることができるかは難しかった。しばらくして、また電話がかかってくるが、みつからない。ダンキーさんは、何としても神石に会いたいという強い思いが電話口からひしひしと伝わってくる。それからしばらくして、ダンキーさんから電話が来た。ダンキーさんは、何を思ったのか一緒に同行している友人に、もう一度神石の場所を説明してもらいたいといった。友人の方に話すとその場所に要領を得たように思えた。

 それから10分くらいして、ダンキーさんから「見つかりました」と吉報が入った。興奮ぎみに話してていて、見つけた瞬間に叫んでしまったため、畑で作業をしていた地主さんがやってきて怪しがられてしまったという。本当によかった。私も思わず叫んでいた。送られてきた写メールを見て、神石に違いないと確信した。それにしても、このように一途な思いで神石に向かったダンキーさんは、本当に素直な人だと思う。

届いた写メールは、神石とダンキーさんの歓喜のポーズだった。

 

「今度祝杯をあげましょ」

ありがたいことに、写メールで神石と再会することができた。とにかく、神石ナビができてほっとしている。


 郡司 拝




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千葉県南房総市白浜の「風流」で石川 仁とトークライブ「大地と海の石巡礼」を行なう。ご来場下さった方々にお礼申上げます。素敵な会場を提供下さった益戸育江さん、ありがとうございました。そして、今回の企画や広報、受付をしてくれた吉良康矢くん、明美さんに感謝します。

 88日 

NPO法人東京自由大学で、世界石巡礼報告会を行う。ご来場下さった方々にお礼申上げます。今回、小学3年生の桃太郎君も参加してくれ、和やかな雰囲気でさせていただくことができた。企画して下さった東京自由大学運営委員の方々に感謝します。