2009/05/28

ガンガーでの禊

5月24日 

 パトナーから夜行列車で、ムガル・サライに到着したのは夜明け前の4時半頃、椅子に座って休んでいると日が昇り始めた。少し仮眠して、トゥクトゥクでバラナスィーへ向かった。このムガル・サライからバラナスィーまでは16kmあまり、トゥクトゥクは早朝の道を滑るように走り、やがて大きな川の橋を渡った。ドライバーは、この川がガンガーだと教えてくれた。乾季のためか水量は少ない。しかし、堂々たる川だと思った。

トゥクトゥクは、旧市街のいくつかのホテルを巡りながら、ホテルまで運んでくれた。

しばらくして、バラナシィー駅で翌日のアグラ行きに切符を予約する。切符が手に入り安心したのかホテルでゆっくり休み、目が覚めたのは、夕方5時になろうとしていた。


 我々は、リキシャーでガンガーへ行く事にした。朝方、ホテルにきた時とうって変わって、街は喧騒としていた。

リキシャーは、ガンガーへの手前で下ろされた。ガンガーへの道は多くの露天商で賑わい、人の渦の中を歩いていった。

夕暮れのガンガーのガートは、沐浴する人々が目についた。

ボートに乗る事にする。夕暮のガンガー観光は実に美しい。





ボートは、やがて火葬場近くにやってきた。




あちらこちらに薪が積まれていて、ここでは、亡くなった人を燃やすのに5000ルピー、3時間で燃えるという。

三つの炎が岸辺に揺らいでいた。

再び、ガナートにやってくると人々は沐浴だけでなく、水泳や水遊びなどをして楽しそうに遊んでいた。


夜の7時近くになり、人々が集まってきて何かヒンドゥー教の儀式が始まろうとしていた。我々も、インド人に混じって儀式を拝見することにした。正装した7人の導師が拍手をしながら登場、ほら貝を一吹きして儀式はスタート。






ベルと太鼓の音、手拍子と共に大勢に人々は、陶酔したかのように儀式に参加していた。お香や、炎のセレモニーが終り、最後、人々を両手を高くあげまるで何かのエネルギーを感じているかのようだった。


 翌朝、4時半に起床。朝一で沐浴をするため、さっそくガンガーへ向かった。

早朝のガンガーの岸辺は、人も少なく心地良い風が吹いていた。






あるガートを決め、褌になりガンガーへ入る。ヒンドゥー教の作法が分からないので、ガンガーの水を口に含み口を清めてから、水の中に何度か頭を沈め、それから日本の禊のように般若心経と祝詞を唱えた。




河は少し行くと2mくらいに深くなり、水温も体温より少し低いだけ気持ちよい。

20分ほどの沐浴を終え、ガートにあがると、あるババジーがこっちにこいといって額に印を入れてくれた。



聖なる川、ガンガーで洗礼を受けたような体験だった。


                   ニューデリーにて   郡司 拝

法華経の聖地・グリッダクータ(霊鷲山)の巨石

5月23日

ガヤからバスで移動してラージギルの街へ。

ラージギルは、ブッダの時代、強大なマガダ国の首都であった。
ブッダは、ここで晩年最も長く過ごし、弟子達に説法をされた場所で、霊鷲山や竹林精舎があることで知られている。ブッダはこの地でマガダ国ビンビサーラ王と出会い、マガダ国王の帰依を得たことで仏教教団が広まる機会を得た。やがて、マガダ国は強大になり、首都はパータリプトラ(現在のパトナ)に移した。この霊鷲山は小高い山で、山の形が鷲という名前の由来とされる。ブッダはここで『法華経』などを説法したとされる。

緩やかなレンガで整備された山道を登ってゆくと、ボリュームいっぱいに音楽を流し、岩場で4人が踊っていた。いったい、なんだと思いきや、それは映画のクルー達であった。大きなレフ版を当てる人、カメラマンなど総勢スタッフが30人くらいいた。この、ブッダの聖地で映画の撮影をするとは、実にインドらしい。さらに山道を登ってゆくと、右手に小さな丘が見えてきた。ここが霊鷲山である。














巨石が折り重なって、いくつかの洞窟を造っている。
ブッダは、この巨石群の中で説法をしていたことを想像すると、この巨石が如何に重要な役割を担っていたかを感じさせる。

霊鷲山の眼下には、ジャングルが広がっていて多くの野生動物が住んでいる。ちょうど、山の巨石あたりに着くと大鹿を見かけた。ここには、虎も生息している。また、よく山賊が出没するらしく、警察官が常駐していて警戒していた。
霊鷲山の隣のラトナギリ(多宝山)にはリフトで登ることができる。山頂には日本山妙法寺が建立した多宝塔、寺があり、ちょうど霊鷲山を見下ろすことができた。





霊鷲山の巨石群は、日本の磐座信仰に近いものを感じた。

ゆっくりと麓に下りてくると、巡礼団が記念写真を撮っている。妻は、思わず仲間に入れてもらい一緒に写真を撮らせてもらった。



              ニューデリーにて   郡司 拝

北インド・ブッダゆかりの洞窟

10数年ぶりにインドへやってきた。前回来た時は、南インドを中心に巡っていたが、今回、北インドにあるブッダゆかりの巨石を訪ねた。何も、5月末の酷暑のインドに来なくてもと言われそうだが、スケジュール的にそうなってしまった・・・・。


519

バンコクからコルカタ行きの旅客機の中は、ほとんどがインド人だったが二人の日本の旅人も乗っていた。我々は、さっそくタクシーをシェアし、一緒にゲストハウスの集まるサダルストリートへ向かった。夕方のラッシュアワーと、道の分からないドライバーのお陰で、サダルストリートに到着したのはすっかり日が暮れていた。その日、伝説の日本人宿に泊まり、出会った青年達と夜遅くまで旅の話で盛り上がった。

20日、午前中はゆっくりして昼過ぎにマザーハウスに行ったが、あいにく昼休みで中に入れず。コルカタの裏通りは、人混みに牛や羊、そしてゴミと悪臭で妻は精神的にかなりショックを受けたようだった。

旅行代理店でコルカタ、ガヤ間の特急列車を予約する。インドの列車は、かなりハードなので列車移動はファーストクラスにすることにした。午後540分にコルカタ駅を出発し、ガヤ駅に到着したのは深夜11時を過ぎていた。ガヤは、ゴータマ・シッダルタが悟りを開いたブッダガヤの最寄の街だ。ガヤ駅へ降りると構内と外に大勢の人々が眠っているのが見えた。暗がりの中、人を踏まないように注意しながら、駅前のホテルを探す。何軒か回りながら要約ホテルを決めて休もうとするが、なかなか寝付けない。深夜だというのに大きな音で音楽が流れていてうるさいのだ。まさにガヤガヤとしている街だ。


21日の朝、トゥクトゥクをチャーターして、ブッダガヤへ向かう。

ここは、ゴータマ・シッダルタが悟りを開いた場所で知られている。菩提樹の下で彼は悟ったといわれ、その何代目かの菩提樹の真後ろにあるのがマハーボディー(大菩提寺)で、中にはブッダの像が安置してあった。参拝者達は、熱心にブッダ像に手を合わせていた。ここで会う人々は、どこかフレンドリーである。妻は、ここで出会った見知らぬインド人の老夫婦から一緒に記念写真を所望されていた。







また、偶然にも結婚式をしたインド人の若いカップルが正装をして寺院の前で記念写真を撮っていた。何ともピースフルだ。






菩提樹の下で、しばらく樹を見ていると日本語の堪能なあるインド人男性が声をかけてきた。彼は、ブッダガヤの近くにあるスジャーター村、ブッダが悟りを開く前に6年間籠もった洞窟がある岩山を案内したいというのだ。上手な日本語を話し、かつては日本人の団体のガイドの仕事をしていたという。一瞬、怪しいと思いつつもお話しする、よさそうな人に見えたので、これも何かのご縁と思い案内してもらうことにする。


ブッダガヤから大きな橋を渡り、しばらく行ったところにスジャーター寺院がある。ここは、ゴータマ・シッダルタが苦行で衰弱した時、長者の娘スジャーターが乳粥を与えた場所だ。今では、小さな寺院にガジュマルが生え、チベット仏教のタルチョがはためいていた。また、寺院の隣には立派なヒンドゥー教寺院もあった。




その後、トゥクトゥクは舗装の無い道を30分くらい走りながら昔ながらの農村に入った。すると、田園風景の背後に細長い岩山が横に広がっていて、その中腹に建物が見えた。建物はチベットの寺院で、その後ろにブッダが6年間籠もった洞窟があるという。この岩山は、ドゥンガシリ山といい前正覚山とも呼ばれていた。








日中はかなり暑くなってきたので休み休み上ることに。チベット寺院の背後に洞窟が現れた。中に入ると畳4畳半くらいの空間で、奥に金色に輝く苦行者の像が安置されていた。こんな小さな洞窟で、ゴータマシッダルタは修行をしていたのかと思い、私もしばし座り瞑想をした。しばらくすると、入り口近くにヒンドゥーの神々が祀られていることに気づく。








ブッダガヤは、いくつかの国の仏教寺院と共に、ヒンドゥー教の寺院があった。ヒンドゥー教においてブッダは、ビシュヌ神の化身ともとらえてられていて、ブッダはヒンドゥー教の中では一つの神と見なさる。

まるで、日本の神仏習合のように、ここインドのヒンドゥー教と仏教も古層においてつながっていると思った。


                        ニューデリーにて   郡司 拝

2009/05/19

カンボジアの聖なる山に佇む巨石群

5月16日
トゥクトゥクをチャーターし、カンボジアの聖なる山プノンプーレン(プーレン山)に向かった。

シェムリアップの街から郊外へ行くと、長閑な田園風景が見えてきた。牛や水牛が畑で草を食み、農村の風景が広がっていた。椰子の並木道が木陰を作りなんとも心地よい。
一時間の快適な道は、やがて砂利道を30分ほど走るとプーレン山の入り口に到着した。

検問所で、朝方、シェムリアップのホテルで購入したプノンプーレン入場券(一人20$)を見せる。
ドライバーは、トゥクトゥクから荷台を外し、普通のバイクに戻した。ここから、さらに15kmの山道を3人乗りのバイクで向かうことにする。カンボジアでは、3人乗り4人乗りは当たり前だった。

山道の手前、巨石が見えてきた。この山には多くの巨石が点在しているようだ。





二つ目のカーブのところに、祠を祀った巨岩が現われた。祠を覗くと仏像らしきものが安置している。さらに、少し上った処にも同じように巨石の前に祠があった。興奮しながら、巨石に近づくと。いくつもの巨石が林立し岩屋になって大きな空間を作っていた。まるで沖縄のセイファー御嶽のように三角状の空間を作っていて、祭祀場のように思えた。岩屋の中に巨木が生えて、石と樹が一体となった聖地性を現し、所々に仏像が祀られていた。







バイクは、ゆっくりと山道を登ってゆく。途中、三つの巨石が重なった岩に出くわす。まるで人工的に造ったような不思議な造形だ。



バイクは40分ほどで、我々をプノンプーレン山上にある寺院に運んでくれた。参道にはお参りに必要なお香や花、お土産品、そしていくつかの食堂などがあった。



プノンプーレンはアンコール王朝創始の地で、802年ジャヤバルマン2世が神王として即位した聖なる山にある仏教寺院である。かつて、ここでは王と神が一体となる儀式を行った場所だという。もともとはヒンドゥー寺院だったが、今では上座仏教の聖地としカンボジア人の最も聖なる山として信仰されている。特にカンボジアの正月(4/13~16)には多くの人々がここを訪れ賑わうという。

ドライバーは、お寺に入るとまるでガイドのように寺院の中を案内してくれた。
我々は靴を脱ぎ、最初にプリア・アントンと呼ばれる涅槃仏をお参りすることにする。巨大な砂岩の岩の周りに作られた階段をゆっくりと上ってゆくと、岩上に屋根が付けられた中に全長9.5mの涅槃像が横たわっていた。
高さ20mはあろうかと思われる天然の巨大な一枚岩の岩上に彫られた涅槃仏の姿は、仏教への信仰の篤さを感じさせる。この涅槃仏は、16世紀にアンチャン1世が建造したものといわれている。涅槃仏の顔を見ると、目の瞳にガラス玉のようなものが入っていた。かつては、ここにダイヤモンドが納まっていたが、泥棒に取られて今はガラス玉だという。地元カンボジア人は、熱心に参拝して祈っていた。









その後、ドライバーは、寺院背後にある巨石を案内してくれた。まるでミニ88ヶ所巡りのように、小さな神像が巨石に安置されていて、巡拝するようになっている。面白いことに、胎内潜り、岩屋巡り、数々の巨石群など、まるで巨石のテーマパークのようだった。











これでもか、というくらいの多くの巨石を見ながら再び参道に戻ってきた。昼食は揚げたバナナ、蒸しご飯バナナにココナッツをいただく。

その後、少し下ったところにある川に向かう。この川はシェムリアップ川の源流で、沐浴するだけで身体が癒される聖なる川で、この川底にビシュヌ神とブラフマ神に彫刻や、多くのリンガが彫られたリンガ・ムイポアン(1000のリンガ)があった。中でも、最も大きなリンガは直径1mほどあった。リンガは川の流れと陰陽を象徴する形が実に美しく現われていた。何百年もの水の流れの中で岩はどのように浸食されてきたのだろう。





ドライバーが最後に連れて行ってくれたのは、山の中にある滝であった。
滝は上と下に分かれていてカンボジア人にとって憩いの場所になっていた。彼らは、滝の近くで食事をとり家族でゆっくりと過ごしていた。人々は、水と戯れながら暑さを涼んでいた。





プノンプーレンは、巨石と水が織り成す信仰と安らぎの聖山だった。

                    バンコクにて 郡司 拝