2009/12/27

レッド・ロック・カントリー、セドナからフェニックスへ

 12月24日

 フラグスタッフからフェニックスへ戻る途中、再びセドナに立ち寄ることに。前回は、午後から日の入りまでしか滞在できなかったので、もう一度岩を見たいと思ったのだ。セドナ空港のある高台から町を取り囲むように奇岩が見えた。


岩の上に建てられたチャペル・オブ・ホーリークロスと呼ばれる教会にゆくと、その背後の岩に圧倒された。この教会は、岩の上に作られたものだが、現代アートのような作品のようで、土台である岩そのものの凄さを感じさせた。

その時、セドナに泊まろうと思った。セドナは、リゾート地だけあって物価は高い。数件、宿を尋ねながら最安値のモーテルに落着く。チェックインをして、私は一人で夕陽と岩を求めて車を走らせた。


 翌朝、ベルロックや、カセドラルロックなどを撮影する。


クリスマスなので、一応、チャペル・オブ・ホーリークロスに行ってフェニックスへ戻る。
街中を走っていると、郊外に名も無き奇岩と出会った。


アメリカ西部のグランド・サークルを駆け足で巡ったが、ここは赤い大地、レッド・ロック・カントリーであった。

             アメリカ、アリゾナ州、フェニックスにて
                                須田郡司 拝

追伸:12月26日、夜行バスでメキシコへ向かいます。

2009/12/26

雪道の洗礼、アメリカの原風景 モニュメントバレーとグランドキャニオン

 1223


早朝、目を覚ますとモアブの町に小雪がぱらついていた。天気予報を見ると今日は一日中雪。昨日、晴れたアーチーズ国立公園に行けたのは奇跡のように思えた。今日は、モニュメントバレーへ移動する予定だ。チェックアウトをして車を走らせると、次第に積雪も増えていった。まさか、アメリカで雪道をチェーンも付けずに走るとは夢にも思わなかった。視界もだんだん悪くなる。とにかく、ゆっくり安全運転で走ることにする。30分ほど走ると、後ろから除雪車が二台やってきたので先に行ってもらい、しばらく後を着いてゆく。白一色の景色がずっと続く。休憩するために脇道にも停車できない状態が続いたが、3時間半でようやくモニュメントバレーに到着する。さっそくビジターセンターへ行ったが、雪と霧で真っ白な世界が広がっているだけだった。駐車場で2時間くらい待ってみるが霧ははれそうもなく、残念ながら諦めることにした。その日は近くの町ケイエンタに宿泊する。


 翌朝、車に5cmくらいの雪が積もっていたが天気は良い。我々は再び、モニュメントバレーへ向かった。昨日の雪は、ほとんど解けて走りやすくなっていた。入場料10ドル(二人分)を払い、ビジターセンターへ行くと昨日まったく見えなかった場所に、三つの岩が見えていた。モニュメントバレーは、何度か映像でみた事のある光景だが、実際見るとやはりすごいものがある。私は、しばらくその岩を何度も何度もカメラに収めていた。風で雲が動かされ、雪に覆われた大地と岩に当たる光が少しずつ変化する光景が美しく、しばし釘付けになっていた。


 三つの岩は、左からLeft Mitten(左の手袋) Right Mitten(右の手袋)Merrick Butte(孤立した岩)と呼ばれている。今回、雪のためモニュメントバレーの奥には行けなかった。しかし、この三つの岩を見るだけでもどこか神聖なものを感じた。まさに、三位一体的なシンボリックナな岩の世界を現しているようだった。

その後、グランドキャニオン国立公園へ向かう。ゲートで入園料(車一台25ドル、一週間有効)を払い、最初にデザートビューへ行く。雪の残る駐車場から凍結した道をゆっくりと5分ほど歩くと断崖上の展望台へ着く。そこには、巨大な峡谷が広がっていて遠くにコロラド川が見え、岩峰に刻まれた地層が地球の記憶を感じさせる。




今から約4000万年前、コロラド川による浸食が始まり、500万年前にほぼその峡谷の全容が現れた。現在見られる峡谷になったのは、約200万年前。侵食は今でも続いていて、最古でおよそ20億年前、原始生命誕生時の地層を侵食していると言われている。

次に、リパン・ポイントへ行く。ここは、谷の底まで見渡すことができ、コロラド川と岩峰のコントラストが実に見事だった。



最後にグランド・ビュー・ポイントへ行く。積雪のため、道路から雪道を20分ほど歩いて展望台へ。何人かの観光客がサンセットの峡谷を撮影していた。ちょうど、太陽の光が岩に隠れようとしていた。やがて、峡谷の岩峰の頂上部分が最後の輝きを見せ、静寂な闇の世界へ移行しつつあった。



何とも贅沢な一日の終りを味わうことができた。

このグランドキャニオンには、年間400万人の人々が訪れるアメリカで最も人気のスポットである。

モニュメントバレーとグランドキャニオンは、まさにアメリカの原風景を感じさせた。

              アメリカ、アリゾナ州、フェニックスにて

                             須田郡司 拝

2009/12/23

巨石ワンダーランド、アーチーズ国立公園

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 アーチーズ国立公園の入口の街モアブのモーテルでチェックインをすると、愛想のいい男性は「何でこんな寒いときに、アーチーズにやってくるんだ。1週間前に大雪が降ったときは、とても公園など見学できなかった。」といった。パスポート見せると彼は興奮して「今から20年ほど前、海軍の仕事で沖縄に2年間いた、あそこは暖かくていいところだった。」といってはご機嫌になり、片言の日本語も話してくれた。アーチーズは、幸いにも雪が少ないようでよかった。

翌日、モーテルから車で15分ほど走りアーチーズ国立公園のゲートで10ドル(車一台料金)を支払う。このレシートがあれば、一週間はフリーパスで入場できかなりお得である。我々は、ビジターセンターで、地図をもらい資料館を見学する。巨大なアーチの模型、鉱物標本の展示、書籍、ミュージアムグッズなどが充実していた。

国立公園の中に車を進めると、奇岩怪石の赤い巨岩群の景観が現れてきた。気になった巨石を見つけるたびに車を停め、夢中になって撮影をつづける。こんなに興奮して巨石群を見るのは久しぶりかも知れない。また、雪化粧の中の巨石群はどこか風情があっていい。

スリーゴシップスは、三人の人物がなにやら密談をしているようだ。

シープロックは、まさに羊のようでかわいい。

それから、メンヒルのような奇岩が現れ、しばらくするとバランスロックに圧倒された。

私は時の流れを忘れ、しばし巨石群に酔ってしまった。それにしても、これら奇岩の魅力はいったいどこからくるのであろう。駐車場で車を停める度に何人かと顔見知りになる。中国人、インド人、西欧人など様々な人種の人々と出会うが、ほとんどの人は幸せそうな表情をしながら巨石群を見てはカメラに収めている。まるで童心に戻っているような感じがした。

公園の一番奥にある駐車場に車を停め、そこから雪道を30分ほど歩くとランドスケープアーチが見えてきた。とにかくでかい。差し渡しの長さが88.4mもあり世界最長である。

次に訪ねたのがアーチーズ国立公園を代表するデリケートアーチ。駐車場から残雪残る岩の道を約40分上がって行くと、すり鉢上の岩盤の端にアーチが現れた。

高さ約14m、幅約10mのアーチは雄大に佇んでいた。まさに神の造形といった感じがした。

日が暮れ始めている中、最後にウィンドウセクションへ行く。ダブルアーチでは子供たちに遊ぶ声が響き、サウスウィンドウではサンセットの光のセレモニーが厳かに幕を降ろそうとしていた。



アーチーズの奇岩風景は実に面白い。ここは、年間約80万人の人々が訪れていて、その数は年々増えているという。心に響く巨石アーチ群は、まさに巨石ワンダーランドであった。
                 アメリカ、アリゾナ州、カエンタにて

                                 須田郡司 拝


メサベルデ、断崖に住んだ謎の民族の記憶

1219

午前中、キャニオン・デ・シェイのスパーダーロックが見える展望台を再び訪ね、昼食を食べてコロラド州にあるメサベルデ国立公園へ向かった。

アメリカの国道を走るのも、だんだんと慣れてきた。コルテスの街から20分ほどでメサベルデ国立公園のゲートに到着。入場料は無料、そこで地図をもらって中に入ると正面に、見事な巨岩が見えた。

しばらく坂道を上ってゆくと日陰部分に雪が残っている。注意しながらクリフ・パレスへ向かった。しばらく走ってゲートへ到着。しかし、ゲートは閉まっていた。道には30cmほどの雪が積もっていたが、入口に車を停め雪道を歩くことにする。スノーモービルが走った跡の溝を滑りながら歩いて行く。

30分ほど歩くと、クリフ・パレスとかかれた看板が見えた。雪道を少し下ると、断崖の下に巨大な遺跡が見てきた。

それにしても凄い部屋の数だ。ちょうどその時、太陽が岩山へ沈みかけようとしていた。

私は、しばし断崖の下の宮殿跡にシャッターを押しつづけていた。


 コロラド州の南西部にあるメサベルデは、今から1400年ほど前のアメリカ先住民の遺跡があり、その遺跡が巨岩の断崖を利用して作られていることからどうしても訪ねたいと思っていた。


メサベルデとは、スペイン語で「緑のメサ(テーブル、或いは大地)」を意味する。西暦550年頃、独特な地形を持つメサベルデに住んだ先住民がいた。遊牧民だった彼らは、ここでトウモロコシや豆、カボチャを作り農耕生活を始め、籠を編む技術を持っていた。1100年頃になると人口も増え、石の壁に囲われた宗教施設キバが建てられた。1200頃、突然彼らはメサの上の住居を放棄して断崖の洞窟での生活を始め、その時、砂岩の石のブロックで断崖住居を造ったという。やがて1300年代後半、彼らはこのメサベルデを放棄して去って行く。その理由は分からない。

キバの構造から、その子孫はプエブロ族(ホピ)ではないかと考えられているという。

このメサベルデはアメリカで唯一の自然遺産以外の国立公園であり、尚且つアメリカで最初(1978年)にユネスコの世界遺産に登録された場所である。


 翌日、再びメサベルデを訪れる。ピットハウスと呼ばれる住居遺跡は、日本の縄文住居跡と似ていた。また、キバと呼ばれる祭祀空間は、深さ3mほどの円形状で東西南北が分かる構造になっていた。

 メサベルデは、冬季は遺跡の内部を見学する事ができない。しかし、この大地に生活していた人々が、巨岩である断崖に住んでいたことは実に興味深い。帰りがけ、メサ(大地)からロッキー山脈が見てきた。


先住民の人々も、この美しい同じ風景を見ていたに違いない。


アメリカ、アリゾナ州、カエンタにて

須田郡司 拝

2009/12/21

キャニオン・デ・シェイ国定公園、ホワイトハウス遺跡とスパイダーロック

 12月18日


 セドナからフラグスタッフ、ホピの居留地を経て、キャニオン・デ・シェイ国定公園へ向かった。


アリゾナ州の北東にあるキャニオン・デ・シェイは、東西に約42kmにV字型に延びる渓谷で、ナヴァホ族(ディネ)の居留地になっていた。彼らは、ここを大切な聖なる場所としていて国定公園に指定された後も人々は土地を手放さず、今でもこの渓谷には数家族のナヴァホ族が生活しているという。

ビジターセンターで地図をもらい、さっそくキャニオンが見える展望台へ向かった。

いくつかの展望台からキャニオンを見てから、国定公園内で唯一許可なしで渓谷へ降りられるというホワイトハウス遺跡へのトレイルを歩くことにする。巨石に穴を空けて作られたトンネルを潜り、岩場を削って作られた小道をゆっくりと降りてゆく。

二つ目の岩のトンネルを潜ると平地が現れた。ふと、上を見上げると三匹の羊が急な岩の斜面に顔を覗かせていた。

小さな橋を渡り、しばらく歩くと切り立った断崖が現れ、近づくと下方に建物が見えてきた。これがホワイトハウス遺跡だ。ホワイトハウス遺跡は、ナヴァホ族より以前のプエブロの人々(アナサジ・インディアン)によって造られたもので、かつては80部屋があり1040年頃から1275年頃までに使用されたと推定されている。



 断崖を見上げ、巨大な岩肌を見ていると異次元にいるような不思議な感覚になった。断崖の下部に見える小さな岩屋の穴に吸い込まれてゆくような錯覚に陥った。かつてプエブロの人々は、この巨岩の断崖を聖なる場所としてとらえ、祭祀空間として利用していたのではないだろうか。


 最後に向かったのは、巨大な岩峰スパイダーロックだ。砂岩でできた赤い2つの尖塔が谷底から高さ244mも突き上げている光景は、迫力があり実に美しい。

 スパイダーロックは、今でも先住民にとって聖なる岩として崇められているという。スパイダーとは蜘蛛を意味するが、ナヴァホ族(ディネ)の創造主とされている、おばあさん蜘蛛を現わしている。ナヴァホ族は、織物を大切な生業のひとつにする彼らにとって「おばあさん蜘蛛が人々に織物を教えてくれた」という、古くからの神話があるという。


 初めての地、アメリカ大陸は実に魅力的で雄大な自然景観が広がっている。まだまだ知らない石の世界がある。

おばあさん蜘蛛の岩神に別れを告げると、二つの岩峰がまるで巨大な夫婦岩に見えてきた。


                   アメリカ、コロラド州、モアブにて

                                 須田郡司 拝