2010/02/09

ジャングルの岸辺に佇む、古代祭祀の記憶

 エクアドルの首キトはコロニアル建築が残る町だ。独立広場の近くの教会には、地球をかたどったような様々な球体のモニュメントが飾られていた。

エクアドルとは、スペイン語で赤道を意味し、正しく赤道直下の国である。

コロンビアから陸路で国境を越えエクアドルの首都キトに入り、旧市街のホステルにチェックインする。ホステルは、丘の中腹にあり屋上からキトの街を見ることができた。ホステルの階段を上り降りする度に息が切れた。それもそのはず、ここキトの街は標高3000m近い高地にあった。

旧市街にある観光案内所で書籍を立ち読みしていると、波紋や渦巻きのような円い文様が刻まれた巨石の写真が目に飛び込んできた。さっそく、職員の人にその巨石のことを尋ねると、それはtulipe村の近くにあり、先住民であるYumbo人達が古代祭祀に使っていたペトログリフであることが分かった。またtulipe 博物館には、Yumbo人の考古学遺跡もあるという。波紋と渦巻きの文様に魅かれ、その巨石を訪ねたいと思った。

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早朝、我々はキトの西方約70kmの場所にあるtulipe村へバスで向かう。キトの郊外を抜けるとバスはぐんぐん下り、豊かな森林の風景に変わっていった。tulipeの村は、標高1100mほどで亜熱帯のジャングルといった感じで、湿度も高く暖かい。小さな村の外れにTulipe考古学博物館があった。

 Tulipe博物館は、Yumbo人(西暦800年から1400年頃)の考古学的遺跡で、それらは1980年代に出土したものだ。いくつかの石造遺跡は、宗教的なセレモニー・センターとしての役割があったという。Yumbo人の文明は、やがてインカ帝国の侵略、スペイン人の征服などで失われる。

博物館に入ると、職員に人にペトログリフの巨石のことを尋ねた。すると、この巨石は、Tulipeから車で20分ほど離れたパスコと呼ばれた村にあることがわかった。博物館を見るのは後にして、バスでパスコ村へ向かうこと。パスコ村で、何人かの人にペトログリフの巨石のある場所を尋ねると、巨石は村を流れる川の奥地にあるらしい。そこは、車では行けず、人がやっと通れるくらいの小さな道を歩く事になった。ただ、言葉が通じないため巨石がどのくらい上流にあるのか分からなかった。私は川沿いを歩きながらペトログリフの巨石を探すことにした。

しかし、川上を30分ほど歩いても巨石を見つけることができなかった。あきらめ掛けていた時、山の上で木を切る音が聞こえた。誰かいると思い、山に駆け上がると親子と思しき二人の男性が開墾作業をしていた。私は、祈るような気持ちでペトログリフの巨石のことを尋ねる。すると男性は、そのペトログリフの巨石はさらに川の上流にあり、そこへ行くには川の中に入って渡らなければならないという。

私は、その男性にペトログリフの巨石まで案内してくれないかと頼んでみた。すると、男性は仕事中にも関らず、案内を引き受けてくれた。男性の名はジョージ、20代くらいの青年だった。彼は、川沿いの小道を軽い足取りで上流へと歩き始めた。

滝の岩場を越え、裸足になり、ズボンを捲って川を渡る。



20分近く歩くと、川上の左手にペトログリフの巨石が現れた。巨石に近付くと、そこには、10数個もの波紋や渦巻きの文様が刻まれていた。




それにしても、このような川の奥地にどのような目的でペトロブリフを彫ったのだろう。巨石は、ちょうど水がプール状に溜った淵にあり、川上には小さな滝があった。

このプールに小石を投げれば、まさに波紋が現れる。この場所は、ある意味、水の神を祀ったのではないだろうか。また、巨石の背後のプールは、儀式をするための禊ぎ(沐浴)場にちょうどよい感じがした。撮影を終えた時、ジョージは、ある木に指を刺してコカの木があることを教えてくれた。

彼は、コカの葉を採って口に含んでかんだ。巨石の周りには何本かのコカの木があり、聖なる場所を現しているように感じた。

先達者ジュージのお陰で、ペトログリフの巨石と出会うことができ、本当にありがたかった。

彼に別れを告げ、バスで再びTulipe博物館へ向かう。閉館時間が迫っていたため、急いで館内を見学し、野外の石積でできたプール跡やイミテーションのペトログリフなどを見学する。



博物館の資料に寄れば、パスコのペトログリフの巨石は、同心円と渦巻きと擬人化されたデザインで、男性と女性の両方の生殖器を象徴し、永遠、無限大、生命、地球、人類、神と多産などを現しているという。

 エクアドルのジャングルには、古代祭祀の記憶を持った巨石が佇んでいる。

                  ペルー、カハマルカにて

                            郡司 拝