2010/02/19

クスコ周辺に残るインカ時代の石の記憶

2月13日

標高約
3399mにあるクスコは、かつてインカ帝国の首都であった。クスコとは、ケチュア語で「へそ」を意味し、太陽神を崇拝するインカ帝国の人々にとって世界の中心でもあった。

16世紀、クスコはスペイン人の侵略でインカは山に追われた。その後スペイン人は、インカの建造物を破壊して、その石材で教会やコロニアル建築などを造った。しかし、その土台のインカの石組みのいくつかは残っていてみる事ができる。特にインカ時代の石組は様々な形をしている。

中でもよく知られているのが12角の石だ。



14年ぶりに訪ねると観光客も多く、石の前にインカ時代のコスプレをして写真を一緒の撮る、商売人の姿もあった。その後、14角の石を見てからクスコ近郊のサクサイワマン遺跡とケンコー遺跡を巡る。


 初めに、クスコ北西にある要塞跡サクサイワマンを訪ねる。夕方近くに中に入ると、雨がぽつぽつと降り始めた。

サクサイワマンは、巨石を3層に積み上げて造られ、22回のジグザグを描きながら360mもの長さに渡って続いている。




大きな巨石は高さ5m、重さ360トンもあり、インカの見事な石組みに驚かされる。2層目の門の近くの巨石には、蛇を象った溝が彫られていた。

石組みを上ってゆくと小さな広場に出て、そこからクスコの町を一望できる。

インカ時代の首都クスコは、町全体がピューマの形に造られていて、その頭の部分にあたるのがサクサイワマンだという。そのため、ここが重要な役割を持った場所とされている。毎年6月下旬、この広場で「太陽の祭り、インティ・ライミ」というインカの祭りが復活されるという。

次に、サクサイワマンから歩いて15分ほどの場所にあるケンコー遺跡へ行く。ケンコーとは、ケチュア語で「ジグザグ」を意味し、かつてインカ時代の祭礼場であった。ケンコー遺跡に入ると、高さ6mほどのメンヒルのような巨石が目の前に現れる。

この巨石は、ピューマを浮き彫りにしているといわれる。その後、背後の岩に行くと、大人一人やっと通れる半円状の切り通しを潜ると、広場に出る。方位を現す石から半洞窟を進むと、人工的に造られた玉座や、生贄の台座などがある。



そこを、大勢の観光客がストロボをたきながら写真を撮っていることに抵抗を感じた。

岩の雰囲気などを見ると、沖縄の斎場御嶽を彷彿させるものがあった。ケンコー遺跡は、宗教的に重要な役割を持った洞窟の聖地といった印象を持った。

最後に、ケンコーから3kmほど離れた、タンボ・マチャイへ行く。ここは、インカ時代は、高貴な身分の人達の沐浴場であった。聖なる泉と呼ばれ、雨季、乾季を通じて同じ水量が湧き出ているという。

この水源は、いまだに分からないという。

 石組、巨石、洞窟の聖地、聖なる泉など、クスコには実に様々な巨石群が残っている。

16世紀のスペインによる侵略は、多くの神殿や宮殿などの施設の破壊、金の略奪でインカ帝国は滅ぼされた。しかし、このクスコにはインカの記憶が、巨石を通してしっかり根付いているように思えた。

 インカの石の記憶は、計り知れない。

                 ボリビア、ラパスにて

                             郡司 拝