2011/12/05

幼稚園での石の語りべ&乳岩巡拝

 先日、浜松市内のある幼稚園で石の語りべをさせていただく。石の語りべ活動を始めて7年になるが、幼稚園でさせていただくのは初めてのことだった。しかも、100人もの子供たちの前でお話できたことは、とても貴重な経験であった。

10月8日、モンベルサロン名古屋での写真展の初日の石の語りべにきてくださったある幼稚園の先生がそのきっかけを作ってくれた。

 12月1日早朝、彦根から高速道路で浜松へ向かった。最初に園長先生にご挨拶をして、園内を案内していただく。年少組、年中組、年長組のそれぞれの教室を見学させていただく。何人かの女の子たちに「髪の毛が長い」といわれる。プレイルームで、スライド上映のセッティングを終え、いよいよ園児達がやってきた。今回、事前に園児たちに、ひとりひとりが自分の身近にある場所から手のひらに納まる程度の小石を拾ってきて欲しいとお願いしておいた。入場してきた園児たちの手にはビニール袋に入った小石があった。最初、子供たちの持ってきた石を見せてもらう。


何人かには、その石をどこで拾ってきたかを尋ねる。

石は、綺麗な色をしたもの、ハートのような形をしたもの、いろいろな石があった。子供たちは緊張しながらも一生懸命こたえてくれた。

それから、私は石笛を吹き、ムビラを弾いて石の語りべを行なった。子供たちの熱い視線を感じながらお話をさせていただく。

 日本の巨石、信仰されている石神、何かに似ている岩、ピラミッド、ストーンヘンジなど。最後は、イースター島のモアイ像の写真で終了。

 当初、30分くらいといわれていたが、1時間もの長時間、子供たちは座って話を聞いてくれた。最後に子供たちはお礼の歌を唄ってくれた。100人の園児たちの声の力に圧倒される。終わってから、年長さんたちと一緒に記念写真を撮る。それにしても、子供たちの目の輝きは、すごかった。子供たちは、きっと直感で石の魅力を知っている。そう思った。(撮影:すだひとみ)

 

 その先生は、石や巨石が好きで、昼食後、我々を近くにある巨石をご案内してくれた。それは、乳岩(ちいわ)と呼ばれる場所だった。 清流に洗われた白い河床を見ながら乳岩川に沿った乳岩峡沿いを走ると桟敷岩が現れた。


49メートル、長さ100メートルもあり浸食段丘でできている岩で、近くを透き通った小川が流れていた。さらに苔むした巨岩をぬって進むと、空が開け、橋桁の向に乳岩の岩壁が姿を現した。

  この乳岩と乳岩峡は、昭和9年に国の名勝天然記念物に指定され、一帯は流紋岩質凝灰岩が分布している。さらに進むと、乳岩の麓に到着。巨岩の下には子安観音が祀られている。

そこから右回りで巨大洞窟に向かって伸びている鉄の梯を登ってゆく。

 標高675mの乳岩山にはいくつかの洞窟があり、中でも最大のものが乳岩で、凝灰岩中に含まれる石灰分が溶け出して天井部に乳房 状の鍾乳石を作っており、乳岩の由来となっていた。洞窟状の中に入ると、まるで地球の胎内でも探検しているようであった。山頂近くの、通天橋・極楽門といわれる巨大な天然石橋は見事なアーチである。

最後に、半球状の巨大な洞窟に入った。

洞窟内には10体もの石仏が安置され古くからの信仰を感じさせる。この洞窟や乳岩を見ていると、かつては修験者しか近づくことできない場所だと思った。ここを、一般の方々が訪れるようになれたのは、周囲に鉄の梯や遊歩道が作られたからである。その労力を考えると、乳岩山への篤い信仰心の強さに驚かされる。

幼稚園での石の語りべ、そして乳岩巡拝。何とも贅沢な一時であった。今後、もっともっと子供たちの前で石のお話をしたい、そう願いつつ浜松を後にした。