2009/05/19

アンコール遺跡群の石と樹

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タイ国境からカンボジアに入国すると大雨が降ってきた。スコールのような雨は、どこか禊のようだった。

バンコクを朝7時に出発し、シェムリアップのホテルに到着したのは午後6時を過ぎていた。

シェムリアップは、アンコール遺跡群から8kmほど離れた街で、多くのホテルやレストランが立ち並んでいた。

外国資本のホテルも多く、街中には中国語、韓国語、日本語が目立つ。地元通貨のリエルより米ドルが日常的に通われていて、世界中から観光客が訪れていた。


14日の朝、アンコール遺跡群の共通入場券(一日券20$)を購入して遺跡へ。始めにタ・プロームを訪ねる。

タ・プロームは、アンコール・ワットを造ったジャヤバルマン7世が、母親ジャヤラージャチューダーマーニの菩提を弔うために造営した寺院で、かつて5000人の僧侶と16人の踊り子が住んでいたと言われる。

回廊を包み込む巨大なスポアン(ガジュマル)の根は、数百年の年月が造った景観だ。

自然による遺跡破壊というか、長い年月のなかで石の遺跡が巨木と一体となって独特な雰囲気を醸しだしていた。

タ・プロームには、他にもいくつかの巨木と遺跡の印象的な光景を見ることができた。








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その後、アンコール・トムへ向かう。ここは、広大な敷地を持つ仏教寺院で、特に中心にあるバイヨンはアンコール・トムを象徴していた。アンコール・トムはジャヤバルマン7世が12世紀末に造営した仏教寺院で、高さ42mの中央祠堂を中心にその周りに16基の小塔があり、塔のそれぞれに巨大な観音菩薩の顔が東西南北の四面に彫られている。すべての人々を救済する大乗仏教の教えを現している。このような四面仏塔の形は、世界に例がない珍しいものだという。







最後に、アンコール・ワットを訪れる。

アンコール遺跡群は、913世紀に栄えたアンコール王朝の王都である。

アンコール・ワット入り口は、左右に大きな環濠に水をたたえていた。高さ約65mの本殿中央祠堂を中心に、幾何学的な大伽藍を展開し、ヒンドゥー教の宇宙観を具現化したものである。アンコール・ワットは、12世紀前半、スールヤバルマン2世が30年間かけて造営したヒンドゥー教の寺院で、ビシュヌ神に捧げるために作られた寺院である。19世紀に密林の中から発見されたアンコール・ワットは、世界遺産となり今では世界中から多くの観光客が訪れている。











15日、ベンメリアに向かった。

シェメリアップから東へ約60kmにあるベンメリア遺跡は、森の中で崩壊の進むまま取り残された巨大寺院の遺跡である。11世紀末~12世紀に造られた寺院でベンメリアとは、「花束の池」を意味し、三重の回廊、十字型の中庭を持つ伽藍形式をとっているが中央祠堂は崩壊している。この寺院は、ほとんどが廃墟状態で見つかり、2001年から見学ができるようになった。

入り口で5ドルの入場料を払い、中に入るとまるで時が止まったような不思議な感覚に陥った。単なる廃墟の寺院といった感じではなく、崩れかけた石や木々の全体が一つの塊として、ある形を作っているように見えた。











アンコール遺跡群を歩いている時、暑さは別にしてとても心地がよいと感じた。その理由は、周りが森に囲まれているからだと思う。また、この遺跡が何百年もの間ジャングルに埋もれていたことで森の力のようなものが備わっているのかも知れない。

石と樹が一体となっている光景は、どこか宇宙意識としてのアニミズムを現している。


ベンメリアで、ある日本人の団体客を案内していたガイドが言った言葉が印象に残った。

「このベンメリア遺跡も修復すればアンコール・ワットをしのぐものがあります。どこか、修復してくれる国があればいいのですが・・・」

あまりにも他力本願すぎる言葉だが、今のカンボジアを象徴しているようでもあった。

                   バンコクにて 郡司 拝