我々を乗せたトラックがオフロードを走ると、辺りに巨大な岩盤の岩山が現れた。その岩盤の上にはたくさんの奇岩が点在していた。その光景は、まるでジンバブエのドンボシャーやマトポス国立公園の奇岩群を彷彿させるものがあった。「南米最後の石巡礼地にふさわしい場所だ」、私は心の中でそう呟いていた・・・・。
3月10日
リオ・デ・ジャネイロから3時間のフライトでブラジル北東部のベルナンブーコ州の州都レシフェに飛ぶ。海岸近くのホステルに宿泊し、翌日、バスでレシフェから100kmほど離れているカンピナ・グランデへ向かった。
世界石巡礼へ出立する前、沖縄の恩師である島袋伸三先生(琉球大学名誉教授)からある手紙が届いた。島袋先生は、沖縄の移民研究の調査で何度もブラジルを訪ねていて、ある地元新聞の中に折り込まれていた巨岩の写真を送って下さったのだ。その奇岩の名称を調べ、グーグルアースで検索するとその巨石は、ブラジル北東部のカンピナ・グランデの近郊、カバセイラスの町の近くにあることが分かった。
南北アメリカ大陸の世界石巡礼の最後の巡礼地は、このパイ・マテウスにすることにした。
3月12日
カンピナ・グランデを早朝6時に出発したバスは、午前8時にカバセイラスの町に到着した。地元の人にパイ・マテウスのことを尋ねるが、言葉が通じずなかなか分からない。ある人が、カバセイラスの博物館で尋ねたら分かるといってくれたので、8時半過ぎに博物館に行くと職員の方はパイ・マテウスへの行き方を教えてくれた。博物館の中には、パイ・マテウスの巨大な写真が飾ってあり、何とも面白い形だ。
パイ・マテウスとは、石のヘルメットの意味である。我々はトラックをチャーターして、カバセイラスから25kmほど離れたパイ・マテウスへ向かった。トラックは、オフロードを滑るように走った。しばらく走ると、遠くに奇岩の岩山が見えてきた。パイ・マテウスは公園になっていて、そこを管理するHotel Fazenda Pai Mateusで入園料を払うと、一人のガイドが同行して巨石を案内してくれた。
ホテルの裏からオフロードを15分ほど走ると、奇岩の山が目に入ってきた。トラックを下りて公園の入口を進むと、巨大な岩盤の上にいくつもの奇岩群の風景が現れた。
幅5m近くある巨石の上には、サボテンが生えていた。
その背後には、水がたまっていた。これは、人工的に作ったプールである。水量は少ないが、5月、6月には一杯になるという。我々はダムの縁を歩きながら、岩盤へと上っていった。しばらくすると、丸石が現れた。
その後、しばし巨岩の数々に圧倒されながら歩く。
やがてガイドは、ある洞窟状の巨岩の前で説明をしてくれた。
ここは、いまから数千年前に生活していたカリリ族と呼ばれるインディアンの祭祀に使われた洞窟だという。洞窟内の岩には、いくつもの手や動物が描かれていて、洞窟内のテーブルでシャーマンが儀式を行ったという。
洞窟から外を眺めると、丸い巨石ともう一つ別なテーブル状の石があった。
その後、しばらく巨石群の中を歩く。こんなハッピーな感覚で巨石を見るのは久しぶりのような気がした。やがて、ガイドは、ある巨石に近付きおもむろに小石で巨石を叩き始めた。
その音は、金属を叩いているような音がした。ガイドに寄れば、この石だけが金属音を出すという。
いよいよ、ここの地名にもなったパイ・マテウスの岩に行く。中に入ると、高さ3mくらいの巨大ヘルメットの中にいるようだ。面白い巨石である。
周りを見ると、他にもヘルメットになろうとしている巨石があった。長い年月の浸食や風化を経て、ここではいくつものヘルメット岩が作られてゆくのだろう。
さらに奥に進むと、幅約10m、高さ約3mものドルメンのような巨石が現れた。
テーブル状の巨石の下を覗くと、石を敷き詰めたような感じで、まるで人工的に作ったように見えた。その隣には、幅約5m、高さ約2mもの割石があった。
最後に向ったのはSaca de Lãと呼ばれる巨石だ。パイ・マテウスからトラックで10分くらい走り、そこから10分ほど歩くと、小さな沼の岸辺にいくつもの巨石が重なってでき迫力ある巨岩が現れた。
高さ約10m、幅は30mくらいはあるだろうか。まるで人工的に作ったピラミッド神殿のようである。
撮影をして、しばらくぼーっと巨石を眺めていると、まるでデジャビュを見ているような不思議な感覚になった。この石の神殿を、どこかで見たことがある。そう、それは三重県の鈴鹿市にある重ね岩と似ていた。世界の巨石は、相似性を持って存在する。そんなことを感じながら、パイ・マテウスを後にした。
ブラジル、サンパウロにて
須田郡司 拝
追伸:北米、南米の石巡礼を終え、3月16日に一時帰国をします。その後、4月初旬から最後のオセアニア地域の石巡礼を行います。