南米ブラジルから帰国し、しばらく営業をしてからオーストラリアへ向かった。世界石巡礼の最終地はオセアニア地方である。成田からキャセイ・パシフィック航空に乗り香港経由で西オーストラリアのパースに飛ぶ。オーストラリアへの旅は初めてだが、今回どうしても巨大な一枚岩でアボリジニの聖地ウルル(エアーズロック)を訪ねたいと思っていた
パースの空港に23時過ぎに到着し、久しぶりに空港に泊まる。翌朝、中心地に近いホステルにチックインする。近代的な建築物が建ち並ぶパースを歩くと、実に国際色豊かな人々の表情があった。特に中国人をはじめアジア系の人々が多い。
4月9日
パースからウエーブ・ロックの日帰りツアーに参加する。ウエーブ・ロックとは、パースの南東約360kmに大波が押し寄せているような波の形の巨岩のことだ。バスで約4時間ほど走った場所にハイデンという町があり、そこにウエーブ・ロックはあった。最初にヒポポズヨーン(Hippos Yawn)と呼ばれる洞窟状の岩を訪ねる。
これはカバがあくびをしているように見えることから「かばのあくび岩」とも呼ばれ、岩の高さは約12メートルある。洞窟の中から外を見ると、その大きさが分かる。
この岩の洞窟は、常に24℃から25℃と一定なため、オーストラリア先住民アボリジニの人達の出産の場所として使われていたという。その洞窟の背後に一枚岩があり、そこにはいくつもの巨石が点在していた。
昼食後、ツアーの人達と一緒にウエーブ・ロックへと向かった。駐車場からブッシュの中の小道をしばらく歩くと巨大な岩盤が現れた。それは大きな一枚岩で赤い色をしていた。
岩の形がまさに大波そのもので、実に美しい。
まさにウエーブ・ロックである。人々は夢中になって波乗りをしているように写真を撮っている。
高さ15mの大波は110mほど続いていた。ウエーブ・ロックは、巨大な岩盤の淵にあった。
ウエーブロックは花崗岩で出来ていて、表面をよく見ると縦方向に筋がはいっているのが分かる。黒い筋は太古の昔、ウエーブ・ロックの上でアボリジニの各部族が東西南北から集まり集会をしていた。その際に火を熾した後の炭が雨水に流されウエーブ・ロックを流れてきたために黒の筋が入ったと言われている。
その後、我々はその岩盤の上へ登った。岩の上には、いくつもの巨石があった。浸食した岩はユニークな形をして岩盤の上に横たわっていた。
最後に向かったのが、ウエーブ・ロックの近くにあるマルカの洞窟(Mulka's Cave)だ。
洞窟の中にはいくつものハンドペイントや壁画が描かれている。
月と魚の絵は、魚のかかれた方向へ一ヶ月歩くと魚が捕れる場所にたどり着いたという。また、一つの手形が一つの部族を現しているともいう。ここには、次のようなアボリジニの神話が伝わっている。
マルカと長髪女性の神話
太古の昔、アボリジニの部族間の問題で婚姻を許されない男女が恋に落ち、やがて女は妊娠をした。それを知った族長はお腹の子供に呪いをかけた。生まれてきた子供はマルカという男の子は、呪いのせいで、視力が弱く目が寄っていたため、狩りが下手だった。マルカは回りから仲間はずれをされるようになり、部族にいることが嫌になって部族から離れ、洞窟で一人暮らしを始めた。狩りができないので、木の実をとったり虫を食べたりして生活をしていた。ある時、彼はどうしても肉を食べたくなり、人間の子供たちを獲物にして食べてしまう。やがて、マルカは髪の長い女性と結婚する。マルカの妻は夫を手助けし、子供たちをさらってきたが、後に子供の命を奪う事に心を痛み始め、マルカに食べられる前に、子供を髪の毛にくくりつけてウエーブ・ロックの上から空へ逃がしたという。星となった子供たちは魂となりヒポポズヨーンに降りてきた。ヒポポズヨーンはアボリジニの中で、誕生を意味する場所だという。
巨大な岩山ウエーブ・ロック、そしてヒポポズヨーン、マルカの洞窟、そこにはアボリジニの聖なる記憶が秘められている。
アリス・スプリングスにて
郡司 拝