2015/05/03

クジラ島物語

 出雲市大社町に移住して半年ほど経った頃、稲佐の浜に鯨島という岩があったという話を友人から聞いた。近年、大社漁港や河川の影響で砂が上がり、鯨島は完全に砂に埋まったてしまったという。クジラの形に似ている鯨島がとても気になる存在となった。古い地図には鯨島と描かれたものを見たり、昔の鯨島の写真を見た時は、何とか掘れないものかと考えた。
 そんな時、大社コミュニティセンターを訪ね、鯨島のことを聞くと、今ではすっかり砂に埋まってしまったとか。数年前までは、台風の後に上の部分だけ出現したこともあったようだ。コミセンの方は「鯨島を掘り出すのは難しく、1m50cmも掘ったら海水がでてしまうから。」と云った。その方も、鯨島への思い入れがあるようで、鯨島があった頃から、砂で埋まってゆく過程を定点観測として写真を撮られていて、いくつかの昔の写真を見せてくれた。「鯨島を掘り出すことは可能ですか?」と聞くと、「また埋め戻すのであれば、特に許可などいらないのでは」と云ってくれた。

1909年に撮影された弁天島と鯨島
西山光顕氏の著書「祖父の足跡〜氏神様を中心として」より
鯨島は、暖かくなった頃に掘ろうと思っていた。そんな折、近所の友人が長年転勤生活から大社に戻り、地元の山の登山道を自主的に整備したり枯れ材の撤去などのボランティア活動をはじめていた。鯨島のことを話すと関心を持ってくれた。彼は地元出身の彼は、小さい頃、鯨島で遊んだことがあるようで、一緒に掘ってくれることを快諾してくれた。いつ頃、掘ろうかと思案している中、ベジカフェまないながオープンして1周年記念になる4月の末にしようということになった。
 この稲佐の浜の砂の中に埋まっている岩礁を実際に掘り出すことは問題ないのか、許可がいるかどうかを調べることにした。はじめに大社警察署、次に漁協関係者に聞いてみた。最後は、砂浜を管理している島根県水産部、それぞれ聞いてみると、重機などを大型機械などを使わない、掘った後は同じように埋め戻すのであれば、特に許可はいらないという応えだった。

2015年4月26日(日)、まないな1周年記念イベントをすることにして「クジラ島祭り」というネーミングに決定した。「クジラ島の記憶を未来につなげる会」(代表、須田郡司)という任意団体を作った。1周年記念イベントは、稲佐の浜での発掘と旧大社駅でのライブの二本立てだ。14時からの鯨島の発掘作業は、自由参加の無料イベント。幅広い年齢層の参加をイメージした。年配の方は、実際の鯨島のことを知っているので、懐かしさを味わって欲しい。鯨島のことを知らない若者や子供達には、初めて見る鯨島にワクワクしてもらいたい。17時から場所を変え、旧大社駅にてマルシェ&トーク&ライブ。

 友人と調査掘りをした。弁天島の前でスコップで砂を掘っていると、近所に人に怪しまれて警察に通報され、お巡りさんに職務質問を受けた。クジラ島発掘のことは事前に話していたので、こと無きを得たが・・・。
三度目の調査掘りで、ある程度の場所を確認することができたのが、本番当日の4日前だった。
鯨島の調査掘り
鯨島の3度目の調査掘り
「クジラ島祭り」の4月26日当日、稲佐の浜に参加者が集まってきた。大人と子供を入れて50人ほどの人達で発掘作業が始まった。
鯨島の発掘開始
中心に子供達、周囲に大人達で掘り進む
鯨島の岩礁が現れた
一時間ほどで出現した鯨島に太鼓を奉納
鯨島の背の部分
鯨島と子供

鯨島と参加者の記念写真
参加者で鯨島を埋め戻す
埋め戻された鯨島

 クジラ島祭りは地元紙にも取り上げていただき、多くの方々に参加して頂く。お年寄りから子供達に喜んで頂けたことは、何よりだった。

 旧大社駅では17時から「まないなとゆかいな仲間達マルシェ」が始まり、1830分より巨石ハンター須田郡司・石の語りベ、笛作家・樋野達夫氏、かむなぎうた・ゆにわ、そして縄文トランス・ラビラビのみなさんによる演奏が行われた。旧大社駅の中は素晴らしい音霊が響きわたった。
旧大社駅
まないなとゆかいな仲間達マルシェは大盛況
特別出演 笛作家・樋野達夫氏の語りと演奏
かむなぎうた・ゆにわ
ゆにわとゲストのげたお氏
旧大社駅内の観客
縄文トランス・ラビラビ
ラビラビのアンコールで参加者は、ほぼ総立ちになった。
稲佐の浜 弁天島と鯨島
西山光顕氏の著書「祖父の足跡〜氏神様を中心として」より
鯨島
西山光顕氏の著書「祖父の足跡〜氏神様を中心として」より

 クジラ島祭りに参加して下さったみなさまにお礼申し上げます。そして、この1年間ベジカフェまないなを支えてくれたみなさまに深く感謝いたします。今後とも、まないなを宜しくお願い致します。

クジラ島物語はつづく・・ 
     
 2015.5.3  陸奥にて   須田郡司 拝