2009/06/29

エチオピア、天国に最も近い岩窟教会・アシェトン山の聖マリア教会

6月18日から27日の10日間、初めてのエチオピアを訪ねる。
その目的は、エチオピア正教(キリスト教)の聖地、ラリベラの岩窟教会を見るためだった。
エチオピアの首都アジズアベバからラリベラまではバスで片道二日間かかる。往復で4日間は移動にとられるというスローな旅であったが、エチオピアという国の日常を少しだけ見させてもらったように思う。
ネット環境がよくなかったため、エジプトのカイロから報告します。

エチオピア共和国の首都アジスアベバからバスで二日かけてようやくラリベラに近付いている時、車窓から迫力ある山が目に入った。その存在感に思わず何度もシャッターを切っていた。地元の人に聞くと、この山はアシェトン山という聖なる山でその下に岩窟教会があると教えてくれた。


6月21日
ラリベラに到着した翌日の早朝、ラリベラを散歩していると中学生くらいのある少年がやってきて、どこに行くのかと私に尋ねる。私は昨日バスで見かけたアシェトン山の岩窟教会に行こうと思っていることを告げると、彼は自分が案内すると言って山の小道を上がり始めた。特にガイドを頼んだわけではないが、正直そうな少年だったのでお願いすることにした。
山に登り始めると、地元の人が何人もアシェトン山に上っている姿を見かけた。道は次第に急な坂道になり、少年はサンダル履きにも関らずひょうひょうと登って行く。ラリベラの村は標高2500mあまり、そこからさらに上にあるアシェトン山の教会への道は、かなりきつかった。歩幅は狭く、呼吸もゆっくりしながら何とか少年の後をついていった。途中、何人もの薪を担ぐエチオピア人とすれ違う。「サラーム」(挨拶の言葉でピースの意味)と掛け合うと心地よい。「ハロー」より素敵な言葉だ。
坂道が終り平らな高地に着くと、そこには小さな村があった。その村の外れからさらに坂道になり、そこを登りきると遠くに岩盤が見え、そこに豆粒ほどに人影が見えた。
あそこが教会か、と思いつつ崖の斜面に作られた小道を歩く。教会の入口で、入場料(50ブル:約450円)を払う。


岩のトンネルを潜ると、巨大な石室が現れた。それは、兵庫県の石の宝殿を思い起こさせたが、その規模をはるかに凌いでいた。
この岩窟教会は、今から800年ほど前に岩をくり抜いて造られた聖マリア教会と呼ばれ、天国と神に最も近い教会と信じられていた。
靴を脱いで教会の中に入ると、司祭が十字架を持って人々の頭や顔を撫でていた。どこか祈祷のように見える。司祭は、サービス精神旺盛で古そうなフレスコ画や十字架などを見せて写真に撮らせてくれた。



岩窟の中は暗く、奥はカーテンが覆われていて中を見ることはできなかった。
岩窟教会から外に出てさらに上がって行くと岩盤の上に出た。
すると、そこには100人もの白い布を纏った人々が岩の上に座り、ある司祭の話に耳を傾けていた。その司祭は笠を指し、静々と説教をしていたのだ。

この光景は、この教会ができた800年あまり前から変わらずにあるのだと思うと、鳥肌が立った。
ここは確かに天国に近い場所なのかもしれないと、思えてきたのだ。 そこからの眺望もすばらし。
標高3100mの岩をくり抜いて教会を造り、人々は毎週この岩にやってくる。そこには、山への信仰、岩窟への信仰、岩への信仰を強く感じる。
やがて、「アーメン」の言葉で集会は終り、人々にバンが配られていた。
岩の上に集う光景を見たとき、その背後のがアシェトン山が何とも崇高な山に思えてきた。

エチオピア人は標高3100mの岩盤に教会を造り、そこが信仰の拠り所として今日までつづいているのだ。 しかも、それが岩の教会である。

しかし、残念に思うことがあった。それは、岩窟教会を覆うようにかけられたトタン屋根だ。まるで建築現場の足組のような木とトタンが、岩窟教会の尊厳さをも失わせているようで実に残念だった。

この屋根は、近年岩窟教会の風化を防ぐために作られたという。
しかし、屋根によって石室は、太陽の光を浴びることも雨を受けることもできない。岩窟そのものが本来備わっていた大いなる自然の力を失ってしまったように思えてならない。

やはり、天国と神に最も近い岩窟教会なら岩窟そのものだけにして欲しい。そんな、身勝手な思いを抱きながら 聖なるアシェトン山を後にした。

           エジプト、カイロにて   郡司 拝