午前9時、ポートマギーの港にはスケリグマイケル島へ渡る人々が続々と集まっていた。
海風が涼しい。夏だというのに、人々は冬の仕度に身を包んでいた。
1994年夏、私は宗教哲学者の鎌田東二さん、舞踊家の山田せつ子さんと一緒にスケリグマイケル島へ渡った。その時は、時化がひどくポートマギーの港から船が出ず、他の港からダイバー用の船で渡った。その時の船酔いは私の人生の中で最もつらい経験であったが、ケルト巡礼での禊のようだった。
今回の世界石巡礼では、これまでミカエルを祀る二つに聖地を訪ねていた。一つは、イタリアのガルガーノ岬にあるサン・ミケーレ岩窟教会、もう一つがフランスのモンサンミッシェルだ。私は、アイルランドのケルト修道院があったミカエルを祀るスケリグマイケル島をどうしても再訪したいと思った。
船は10数人乗りの小さなもので、人々が乗り込むと次々と出航していった。我々の船は、5番目に出発する。 港から外洋に出ると、いきなり大波にさらされた。小船は揺れに揺れ、10mくらいの高低差を繰り返す。乗り物に強い妻は「ジェットコースターより迫力あるね」と言っては、興奮ぎみにはしゃいでいる。私は、なるべく遠くを見ながら船の動きに身体を合わせた。
一時間ほどで、リトルスケリグマイケル島に近付いた。
切り立った岩でできたこの島は、多くの海鳥が生息している。
船はようやくスケリグマイケル島に接岸する。身体が少しふらついたが、さっそく、切り立つ岩山へ向った。石段はまるでインカ遺跡を思わせた。少し上がった処に、リトルスケリグマイケルを望める場所に、ユニークな石が立っていた。
船はようやくスケリグマイケル島に接岸する。身体が少しふらついたが、さっそく、切り立つ岩山へ向った。石段はまるでインカ遺跡を思わせた。少し上がった処に、リトルスケリグマイケルを望める場所に、ユニークな石が立っていた。
まるで、インカの石段を思わせる道を登ってゆくと、石造りの修道院跡が現れた。
スケリグマイケルとは、「ミカエルの岩」の意味で、アイルランド島の西方ケリー州の沖合16kmにある海抜210mほどの岩山からなる小さな孤島だ。伝説によれば588年、聖フィナンがこの島の山頂付近にケルト修道院が造ったと言われる。
9世紀には度重なるヴァイキングの襲撃を受けてきたが、10世紀前後に教会は拡張された。
西暦1500年頃から毎年海が穏やかになる時期に巡礼者が訪れるようになったという。
今日に於いても、この孤島に渡るのは容易ではない。まして、ケルト修道院の時代は命がけの旅路だっただろう。 修道士たちは、この荒波で守られた絶海の孤島でどのような生活を過ごしていたのか。彼らは海鳥を獲り、雨水を溜め、生きるためでだけの生活を送っていたといわれ、まさに極限状態での修行だったに違いない。
教会跡の窓の正面に、リトルスケリグマイケル島を望むことが出来る。
ドイツ、デュッセルドルフにて 郡司 拝