2010/01/03

2010年元旦、テオティワカンの月と太陽のピラミッド詣で

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早朝、メキシコシティの北バスターミナル発8時のバスに乗り、メキシコ最大の都市遺跡であるテオティワカンに向かった。元旦といえ、平常通りバスは運行していて一時間弱でテオティワカン遺跡に到着する。ゲートで入場料一人51ペソを支払い中に入る。午前9時過ぎのテオティワカン遺跡は、観光客も少なく静寂な空気が流れていた。広大な敷地を見渡すと、遠くにピラミッド群が見えてきた。

 メキシコシティの北約50kmにあるテオティワカンのピラミッド遺跡群は、紀元前2世紀頃に造られたラテンアメリカ最大の宗教都市国家跡で、紀元350年から650年の間の絶頂期は約20万人以上の人々が生活していたと考えられる。巨大な都市は、8世紀頃に突如人々は姿を消してしまったという。

 右に太陽にピラミッド、奥に月のピラミッド、最初に月のピラミッドに向かうことにする。入場した博物館近くのゲートから段差のある道を1km近く歩くと月のピラミッドが真では近付いてきた。

月のピラミッド (Piramide de la Luna) は、高さ46m、底辺150m×120mで紀元350年頃に造られたと考えられ、重要な宗教儀礼として使われていた 。

月のピラミッドの正面にある月の広場に来ると、高さ2mあまりの巨石が佇んでいた。鎖のチェーンで囲われていて何か特別な役割があるように感じられた。

 急な石段に上がってゆくと平らな広場に辿り着いた。さらに石段はつづいていたが、そこにはチェーンが掛けられていて入れなくなっていた。その広場から太陽のピラミッドを望むと、この遺跡のスケールの大きさを強く感じた。しばらく、そこからの眺めを見ながら、ふとピラミッドの上までどうしても行ってみたいと思い、その衝動を抑えることはできなかった。その広場には、我々の他に3人の観光客がいた。私は、拍手を打ちチェーンを潜って、一機に月のピラミッド頂上を目差して駆け上がった。すると、一人の観光客も上がってきた。頂上部は、石が並べられていた。座りにくそうな石を選びながら、ピラミッドの反対側にある山をみながらそこに座りしばし黙想をする。もう一人の男性も頂上部に上がり静かに座っていた。しばらくして、頂上から望む太陽のピラミッドを撮影する。

下を望むと、妻は手を振って降りてこいとのジェスチャーをしていた。すると、観光ポリスが下から上がってくるではないか。とにかく降りなくてはと思いで気をつけながら下っていった。もう一人の男性も下り始めた。ポリスは息を切らせながら我々のところにやってきて、チケットの提示を求め、「こっちに来い」とのジェスチャーをする。罰金は免れないかもしれないと覚悟しながらポリスの後を着いてゆく。しばらく歩きゲートの出入り口で、チケットに何かを書かれもう一人の男性と退場処分を言い渡される。もう入場することはできない。しかし、英語を訳してくれた警備の人は、こっそりと別なゲートから入りなおすことができると教えてくれた。

妻はあきれながら一緒にゲートを出て、太陽のピラミッドが正面に見える別なゲートまで歩く。妻は持っているチケットで、私は再びチケットを購入してどうにか中に入ることができ、ほっとする。

 遺跡の中は、次第に観光客の人数が増えていった。次に太陽のピラミッドを上る事にした。下から見るとピラミッドの頂上部に人影も見え、こちらは堂々と頂上部まで上ることができる。我々は、ゆっくりと石段を上がっていった。


 太陽のピラミッド(Piramide del Sol)は、高さ65m、底辺の一辺が225mも大きさで、テオティワカンの中で最大で、世界で3番目に大きな建造物だという。ここも宗教儀礼に使われていたという。

10分ほどでピラミッド頂上部に到着。辺りは心地よい風が吹いていた。我々は、しばらく座り込みながら遺跡を見ながらぼーっとしていた。何人もの人々が、頂上の石の上に座って寛いでいる。

12時近くなると、頂上部に集まった人々が太陽に向かって両手を挙げたり、座りながら瞑想する人々の姿を見かけた。

 ピラミッドの山頂でこのような光景が見れるとは興味深かった。太陽のピラミッドの周りを何度か巡っているとスピリチュアル系と思しき人達を何人も見かけた。ここは、今でも聖地としての役割があるようだ。

テオティワカン遺跡にはたくさんの観光客が訪れていて、土産物の笛や太鼓が鳴り響きどこかお祭りのような雰囲気があった。この遺跡は過去のものだけでなく、ある意味現在においても形を変え継続されているようにみえる。


元旦に月のピラミッド頂上からテオティワカンを見渡せたことは、何とも贅沢なひと時であった。


   メキシコ、メキシコシティにて

                              須田郡司 拝