2010/01/13

メキシコ最後のマヤ遺跡、雨のパレンケ

 1月10日

 トゥルムから夜行バスでパレンケの街に午前5時過ぎに到着。まだ暗く、風が吹きさらしたバスターミナルはかなり冷える。6時過ぎに近くのホテルにチェックインして、しばらく、休んでから小雨降るパレンケ遺跡へ向かった。
入り口からジャングルを少し上がるとそこには、見事なピラミッドが鎮座していた。このピラミッドは、碑文の神殿と呼ばれている。

 チアパス州の北部に位置するパレンケ遺跡(AD400-AD800)はパカル王(600年代)を中心に成長したマヤ遺跡だ。 1955年、「碑文の神殿」の地下から石棺とともに多数の装飾品をつけた王の遺体が発見された。翡翠の仮面で有名であるこの発見によって、当時の考古学による「メキシコのピラミッドは神殿の台座に過ぎない」という定説が覆され、マヤ遺跡に対する旋風を巻き起こしたことで知られている。碑文の神殿には、「ハラチ・ウィニク(真実の人)」という文字から推察される埋葬者は、考古学者が説くパカル王ではなく、別な人物の可能性が強い。
 1952年、メキシコ人考古学者アルベルト・ルスは神殿の床の敷石をはいだところ、地下に通じる階段を見つけた。瓦礫を3年がかりで掘り出したルスは、殉死者と思われる数体の遺体が横たわる部屋の先に、畳10畳敷きもあろうと思われる巨大な憤室にたどり着く。 横2m縦4mほどの石棺があり、中には翡翠の仮面をつけた王と思われる人物の遺体と、数々の副葬品が埋葬されていた。発見された遺体はパレンケ王朝第11代のパカル王とされているが、パカル王は、687年に80歳でなくなったとされており、遺体の推定死亡年齢が40歳前後であることと矛盾する。
碑文には、石棺に埋葬された人物は「ハラチ・ウィニク(真実の人)」としか記されておらず、パカル王の名は一切示されていなかった。

パレンケ遺跡の中心部にあり、高さ10mの基壇の上に建てられてていて身分の高い人の住居であったと考えられていることから「宮殿」と名付けられている。


7世紀に建てられた宮殿は、後に何度か増築されているため全体の構造は複雑になっている。宮殿内部の通路は、電灯の明かりのもと一部通ることができる。

宮殿内には深さ3メートルの水路が引かれ、水洗トイレやスティームバスの跡もあるという。特徴的なものは、高さ15m、4階建ての塔である。

塔の壁面が東西南北を指していることから、天体観測に利用されたと推定され、「天体観測塔」と呼ばれている。

宮殿の背後には十字架の神殿、葉の十字架の神殿があり、霧雨の森が何とも幻想的に見えた。


遺跡の周囲には、いくつもの遺跡の廃墟跡が点在していたが、立ち入り禁止の場所が多い。

ある立ち入り禁止の遺跡の前で、雨の中カッパを着た地元女性が静かに祈っている姿を見かけた。

遺跡群を巡り、下方にある滝を見てから、最後に博物館に行く。

「碑文の神殿」の地下からでた石棺、翡翠の仮面の展示がとても印象的だった。



 パレンケは、今でも地元の人々にとって聖なる場所として信仰されている。

          グアテマラ、フローレスにて
                    須田郡司 拝