2010/01/13

メリダのマヤ舞台劇、聖なる泉と暦の古代都市チチェン・イツァー

 1月5日

 ビジャエルモッサからバスに乗り10時間ほどでユカタン州の州都メリダに到着。
その夜、メリダはキリスト公現祭(1月6日)の前夜祭が中央、広場で行われていた。夕食をすまして、夜9時、広場に行くと歌と踊りとにぎやかに繰り広げられていた。しばらくすると、マヤ文明をアレンジした舞台劇が始まった。



音楽と舞台演出もかなり凝っていてなかなか面白い。最後は、スペインの侵略とキリスト教化を正当化している演出がいまいちな感じがした。
 翌6日朝、メリダからローカルバスに乗り3時間ほどでチチェン・イツァー遺跡に到着。駐車場には車とバスがびっしりと並んでいた。入場料一人111ペソを払い、中に入ると通路沿いにはお土産屋が続いていた。ここは、メキシコ最大の遺跡観光地であった。
 チチェン・イツァーとは、マヤ人の言葉で「泉のほとり」のイツァー人という意味がある。ここには、ユカタン半島で最大のセノテ(聖なる泉)があり、この泉を中心に10世紀から12世紀半ば200年以上に渡って宗教、経済、芸術におけるユカタン半島の中心として栄えた古代都市である。

最初に目に飛び込んでくるのはエル・カスティーリョ(ククルカンの神殿)のピラミッド。

大きな9段の階層からなり、4面に各91段の急な階段が配されている。マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神)を祀るピラミッドである。基底55.3m四方、高さ24m(頂上の神殿部分は6m)。ピラミッドの最上段には真四角な神殿がある。ピラミッドの階段は4面の91段を合計した364段に最上段の神殿の1段を足すと、丁度365段で。また1面の階層9段は階段で分断されているので合計18段となり、これらはマヤ暦の1年(18ヶ月365日)を表す。このことから「暦のピラミッド」とも呼ばれる。
このピラミッドは、北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻があり、春分の日・秋分の日に太陽が沈む時、ピラミッドは真西から照らされ階段の西側にククルカンの胴体(蛇が身をくねらせた姿)が現れ、ククルカンの降臨と呼ばれる。



いくつかの神殿跡を見てから巨大な「球技場」に行く。


かつて、石の輪の中にボールを投げ入れることで競い、勝者チームのリーダーが生贄になったといわれる。
遺跡の北西にある聖なる泉「セノテ」は、大きな丸い池だ。

ここでは、雨が降らない時や豊作を願う時に、神の予言を伺うために、財宝や生贄の人間が投げ込まれたという。後にアメリカの探検家エドワード・トンプソンがこの泉にもぐり、人骨やたくさんの財宝を発見したという。
旧チチェン地区にあるカタツムリ型の天文台(エルカラコ)は約9mの岩の上に建てられ、高さは約13m。

西側は春分の日の日没、月が最北端に沈むときの方向2つを確認することができ、太陽暦の1年をマヤ人 は365.2420日と計算していた。現代天文学がコンピュータで計算した1年は365.2422日。天体望遠鏡もないマヤ人はほとんど誤差なく暦を知っていたという。

マヤ人は、この巨大なピラミッドのカレンダーと天文台のカレンダーによって、農耕や政治や経済を繁栄させたのだろう。

          グアテマラ、フローレスにて
                   須田郡司 拝