2009/07/30

フランス、マリア信仰と岩の聖地ル・ピュイ・アン・ヴレー

 7月26日
 265段の石段を登ると、岩山の上に小さな礼拝堂が建っていた。眼下に広がるオレンジ色の町並みが実に美しい。ようやく念願のル・ピュイに来たんだなぁと実感しながら、しばし岩上に立ち尽くしていた・・・。

数年前、植島啓司著「聖地の想像力」(集英社新書)を読んだ時、巻頭にあったカラー写真が目に焼きついた。鋭角にそびえ立つ岩山に建つ教会。
それが、ル・ピュイのサン・ミッシェル・デギュイユ礼拝堂であった。この写真を見てから、私はどうしてもル・ピュイを訪ねたいと思っていた。今回の世界石巡礼で、ようやく来る事ができたのだ。

 25日、ジェノバからニース、マルセイユ、リヨンをTGVで乗り継ぎ、ル・ピュイに到着したのは深夜23時を回っていた。ラッキーにも巡礼宿に宿泊することができた。
 翌朝、さっそく、サン・ミッシェル・デギュイユ礼拝堂のあるディク岩に向かった。
ロマネスク様式の礼拝堂の入口で、私は靴を脱ぎ裸足になった。中に入るとステンドグラスからの光に照らされた石柱やフレスコ画が静かに浮かび上がっていた。再生機から賛美歌が流れ、何人かの人は黙想をしている。居心地のよい空間である。
 かつて、このディク岩はキリスト教以前からの聖なる場所で、岩の上に横になると身体を癒すことができたという。私は、頃合を見計らってしばし横になってみた。まるで磁石のように身体が吸い付くように感じた。

 次に訪れたのが、ノートルダム大聖堂の黒い聖母マリア像である。黒い聖母マリア像がある場所は、かつてのドルイド教の価値観、つまり聖なる石、岩、水、木、山への信仰が根強く残っていた場所と考えられている。このル・ピュイも元々はドルイド教の聖地であり、聖母マリアが黒く塗られたのは、元来、その土地で信仰されていたケルトの大地母神である土着信仰と結びついた可能性がある。

ノートルダム大聖堂の背後にあるコルネイユ岩の上には、鉄で出来た聖母子像がある。
これは、19世紀中ごろ、クルミア戦争で勝利したことに感謝して大砲213門を溶解して造ったものだ。聖母子像の中は、螺旋階段で上がることができ、いくつかの窓から覗く事ができ、胎内巡りのようだ。

 このル・ピュイは10世紀中ごろに時の司祭がフランスで初めてスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼をしてから巡礼路の起点の一つになったという。また、その頃にはマリア信仰の聖地としてフランス全土に知れ渡っていた。

穏やかな田舎街ル・ピュイは、今でも多くの巡礼者や観光客を魅了する岩の聖地である。


             フランス、カルナックにて 郡司 拝