2009/09/12

スペイン、ガリシアのケルト人住居遺跡と巨石

 9月9日

ポルトガルのブラガからバスでサンティアゴ・デ・コンポステーラにやって来た。
サンティアゴ・デ・コンポステーラには、聖ヤコブ聖(スペイン語でサンティアゴ)の遺骸があるとされ、ローマ(バチカン)、エルサレムと並んでキリスト教の三大巡礼地に数えられている。フランスの4か所からの巡礼路があり、その終着地がサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂であった。バスターミナルには、杖を持ちリュック背負った多くの人々の姿があり、ふとお遍路さんを思い出す。
 夕方、予約していたホステルにチェックインし受付の若者と話していると、彼は「自分はスペイン人ではなくガリシア人だ」という。ガリシアに強く誇りを持っているようだ。 ガリシアの名は古代ローマの属州ガラエキア(現在のスペイン西部とポルトガル北部)から来ていて、ガラエキアの名はギリシア語の「カライコイ」から来ていて、古代にドウロ川(カスティーリャ語でドゥエロ川)以北に住んでいたケルト系の民族を指していた。
 彼は特にケルト文化に興味を持っているらしく、ガリシア地方には多くのドルメンや巨石があるという。中でも海岸沿いのケルトの古い住居遺跡は、とてもマジカルな場所だから行ってみたらいいと進めてくれた。
そこは「バローニャのカストロ(CASTROS DE BARONA)」と呼ばれていた。イベリア半島北西部のスペインのガリシア地方には「カストロ(CASTRO)」と呼ばれる遺跡が多く点在しているという。
そのケルトの住居遺跡には、巨石もあるというので翌日、行くことにした。

 翌10日、我々はサンチャゴ・デ・コンポステーラからバスで乗り継いで1時間半ほどで「バローニャのカストロ」遺跡の入口にやってきた。バス停からあるレストランの横の道を5分ほど下って行くといきなり視界が広がり海に囲われた岩場が見えた。
岩場に近付くと、集落の入口の海岸には、なぜか、積み重ねた丸い石がたくさんあった。
どこか賽の川原のようだが、おどろおどろした印象はない。しばらくすると、観光客が楽しそうに石を積んでいた。

「カストロ」とは住居跡を意味し、紀元前に鉄器文化を築きヨーロッパ中を住処としながら、いつの間にか姿を消した“幻の民族”ケルト人の住居遺跡だというのだ。
住居跡に入ると、そこには、小石を丸く積み上げたいくつもの円形の集落跡があった。
かつて、その円い石の上に木の枝を配し、草ぶきの屋根を被せていた。柱を使わない構造で、内部は大きな円形のドーム状だったと考えられている。集落の中を歩くと、いくつかの巨石があった。
巨石は、どこか集落を見守るかのように存在している。集落の背後にそびえる大きな巨石の上に上ると、集落全体を見渡すことができた。すると、この集落が海に囲まれた天然の要塞であることが、一目でわかった。
ケルト人は、この自然の地形を生かしてここに住居を構えたのだ。
 ケルト人は、紀元前900年頃今のオーストリア西部ハルシュタット周辺で鉄器文化を築いた民族といわれ、国家をつくらず小さな部族で移動し、一群は現在のフランスから海を渡ってイギリス、アイルランドへ移り、一群はピレネー山脈を越えてイベリア半島の北西部に定住したといわれる。
 この「バローニャのカストロ」住居遺跡を見ながら、ケルト人は巨石と共に暮らしていたことを実感できた。
そして、このガリシア地方には、今でもケルトの魂が生き続けているような気がしてならない。

                      スペイン、ビトリアにて 郡司 拝