2009/09/25

モロッコ、泥レンガの要塞都市アイト・ベン・ハドゥ

 午後6時40分、ミナレットのスピーカーから「アッラー、アクバル」の声が何度も何度も鳴り響いた。
その日の日没の合図である。マラケシュの人々は、それから一日の初めての食事がはじまる。

 9月17日、スペイン、バロセロナからモロッコに飛び、カサブランカから列車に乗り5時間あまりでマラケシュの町に到着。旧市街の広場近くで宿を探しマラケシュの町を歩くと、どこか重々しい空気が流れていた。そう、それはラマダン(断食月)の真っ最中だったのだ。人々は、どこか覇気が無く、ただじっと座っている人、空腹感に耐えている人の思いが伝わってくる。
 イスラム教徒にとって一年に一度のラマダンでは、日の出から日没までは食料はもとより水も飲んではならない(一部の例外はあるものの)。これが新月から新月の28日間行われるのだ。かなり厳しい。その空気感がこちらに伝わってくる。日中は、ほとんどの食料品店、レストラン(外国人向けを除く)は休業していた。ラマダン中にイスラム圏に来るのは初めての経験だった。
日没後、人々はいそいそと家路に帰り食事をとる。夜のマラケシュは異常なくらいの活気を帯びていた。
  マラケシュでしばらくレストして、20日にワルザザード近くにあるアイト・ベン・ハドゥへ向かった。
  19日、バスターミナルでワルザザード行きのバスを予約しに行くと、ラマダン明けが近く、バスに空席がなかった。
ラマダンは新月を観察できる20日の夜に終了する予定であった。そこで、ミニバスを予約することにした。 翌日、バスターミナルへ行くと、我々を含め6人のツーリスト、ドライバー、ガイドの8人を乗せたミニバス(三菱パジェロ)で出発する。マラケシュの郊外から急な坂道を上り始める。ヘアピンカーブを何度も曲がりながら上ってゆく。標高2000mもの峠を越えてやや下ったところから、アイト・ベン・ハドゥの看板を左に入ると、オフロードが待っていた。車はゆれに揺れた。さすが日本車と誇りに思いながら、30分ほど走ると泥レンガの集落に到着した。
村の中の小道を歩くと、川の対岸に巨大な要塞都市が見えてきた。これがアイト・ベン・ハドゥかと思いながらその景観に圧倒されていた。
岩山の斜面を利用して作られた茶色の泥レンガ造りの家はすべてつながっている。水の無い川を渡り入り口の門で入場料を払い中に入ると、レンガでできた高い城壁や塔が実に美しい。
迷路のような通路を上へ上へと昇ってゆくと、集落の最上階に到達する。この建物は、篭城に備えた食料庫だった。
上から見下ろすと、川沿いは緑豊でここがオアシスだということが実感できる。
この珍しい景観からアイト・ベン・ハドゥは世界遺産に登録されている。この中には数件の家は今でも生活しているが、ほとんどが観光客向の土産物が並べられていた。
 泥レンガで作られた要塞化された村は、クサルと呼ばれる。隊商交易の中継地として栄えたこの地には、カスバ(個人住宅、城)と呼ばれる邸宅が造られ、中でも有力であったハッドゥ族が築いたのが、アイット・ベン・ハドゥの集落であった。彼らは、盗賊などの掠奪から身を守るため、城砦に匹敵する構造の建築を行った。敵の侵入を防ぐため集落への入口はひとつ、通路は入り組んでいてまるで迷路である。1階は窓がなく換気口だけ、外壁には銃眼が施されている。
映画『アラビアのロレンス』『ナイルの宝石』などのロケ地としても知られている。
 帰りがけ、別な道で岩山を降りるとそこには多くの巨石がごろごろとしていたのが印象的であった。


                    モロッコ、マラケシュにて 郡司 拝